テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:父の麦わら帽子
家の前の貸農園の野菜に霜が降りている。
窓越しにのぞきながら、私は60年ほど前、小学校で行われていた野菜の品評会を思い出していた。 品評会の前の日、畑から選んで抜いてきたホーレン草を父は、束にした。 つややかな大きな葉といい赤くて太い根といい、父が丹精をこめて作っただけあって、それは申し分ない出来栄えだった。 「この分なら、今年は入賞するかもしれない」私はそう思うと心がときめいた。 入賞すれば、名前がよばれ、賞状をもらった上に火ばしや五徳などがもらえるのだ。 父はワラでたばねたホーレン草に名前を書いた紙をはさんだ。 そして私が学校に持って行きやすいように細い縄で輪を作ってくれた。 品評会の会場は、小学校の運動場で、朝早くから、むしろがひかれ、子どもたりの持ってきた野菜が地区ごとにならんでいる。 私も自分の分をならべるとぐるりと見てまわる。 よく巻いたキャベツ。 ひとかかえもありそうな水菜。 白くつややかな大根とカブ。 真っ赤な人参、その他どれをみても各々自慢の物だけに、みなみごとなものばかりである。 うちでは、あれほどりっぱにみえた父のホーレン草も、ここにくると影がうすい。 結局、私は入賞することもなく、参加賞の餅アミをもらって家の帰るのだった。 今、スーパーには、ありとあらゆる野菜が売られている。 それら、ラップに包まれ、ピカピカ光る野菜には、季節がまったくない。 これを作った人たちは、あの品評会の時ほど、誇らしげに出荷しているのだろうか。 父たちが持ったと同じ愛情で育てられているのだろうか。 パックに入れられ息苦しそうなトマトやキュウリを見るたび思い出すかじかんだ手をこすり合わせながら学校まで持っていった父とホーレン草。 人々が本物の野菜を食べていたあの頃、冬は今より寒く、人々は今よりあたたかかった。 1987年の■ひととき■175号の転機。年数は、かえました。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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