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2021.04.26
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カテゴリ:父の麦わら帽子

私が岡山県の田舎の小学校に入学したのは、今から60年以上前のこと。

そんな時代の「給食」は、たったコップ一杯の「ミルク」だけ。

ミルク用のコップの中には、漢字の「山」という字を横にしたような「ヨ」という印があった。

1年、2年は「ヨ」の一番下の
2年、3年は真ん中、
5年、6年は、一番上のラインまで「ミルク」を入れた。

それは、悪名高き、脱脂粉乳だったが、当時、何も分からず飲んだ。
 小学3年生くらいの時だったか給食にしようという話が出た。
教育委員会などから出たのだろう、栄養が偏らないように給食がいいというのだった。

そんな中、給食に反対する親がいた。
「弁当にすればいい。
うちは米を作っているから弁当なら持たせられるが、給食代は払えない」というのが、反対の親の言い分だ。
 うちの家の前の家も反対で子どもが4人いて、そのうち2人が小学生だった。
その家の主婦、■ふーちゃん■のいうことを聞いて、子どもたちは、給食の時間になったら家に昼食を食べに帰っていた。

それを見て、うちの親は、
「(ふーちゃんの子)A子ちゃんらが可哀そうじゃ。
ふうちゃんも、給食に賛成したらええのに・・・」と言っていた。
 「のんきだな・・・」と子どもの私は思った。
「私は確かに、給食を食べているが、給食費を払えないのは辛いわ。」
私は、給食費をくださいと親にいうのがつらくて、言い出せないような子どもだった。
先生が、給食代の集金をしても、私は毎回
「忘れた」と言っていた。

親が辛がるような給食代の話は出来なかったのだ。
小学校3年生か4年生の頃、「ミルクとコッペパンとおかず」の給食が始まった。
しかし、毎日ではなく、週3回だった。
しばらくして、月曜日から金曜日までの週5回の給食になり、それを「完全給食」といった。(土曜日は、半ドン。)
 先日、読んだ武田百合子の「ことばの食卓」に以下のような文章が出てきた。

●家の近い生徒は、都合でお昼を食べに帰ってよいことになっていた。
「食べ」といった。
校門から「食べ」の生徒が、ばらばらと抜きつ抜かれつして、切り通しの坂を走り去って行く。
真昼間の表から駆け込んだ茶の間は、藤棚の陰で令んやりと暗い。

◎あった、あった、私の中学生の頃も、食べに帰る人がいた。
私もたまに帰った。
もちろん、粗末なお昼を食べるのだが、考えると食べる物もなくて水だけの人もいたのではないだろうか・・・。
あの頃は、まだ日本中が貧しかった・・・。
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Last updated  2021.04.26 21:40:04
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