テーマ:懐かしい昔の話(548)
カテゴリ:父の麦わら帽子
私の子どもの頃の夏は今から60年以上前。
夏の食卓に並ぶのは、明けても暮れても、同じものだった。 ★ナスビ。(ナスビ揉み) 縦に半分に切って、斜めに細く切る。 それをすり鉢に入れて、塩をして揉む。 さっと水で流して、おかずとする。 塩気が足りない場合は、少し醤油をかけた。 ナスビは、焼き茄子にすることも多かったが、その場合は、七輪に火を熾して外で焼いた。 家の中に火の暑さが残らないようにするためである。 ★キュウリ(キュウリ揉み) キュウリもよく食べた。 キュウリを薄く輪切りにし、塩をして揉む。 煮干しを少し焼いて、手でちぎってキュウリと混ぜる。 酢、味噌、砂糖と入れ混ぜる。 キュウリ揉みの出来上がりだ。 タコもワカメも無しだったが、たまに油揚げがあると焼いて小さく切って混ぜた。 揚げが入っていると大喜びした。 入れ物は、すり鉢。 当時は、ボールというものは無かったし、大きな鉢もうちには無かった。 したがって、すり鉢が唯一の入れ物だった。 すり鉢がふさがっている時は、鍋を代用した。 ★トマト。 トマトは、くし型に切ったり、輪切りにして、醤油で食べた。 明治45年生まれの父だけは、トマトが苦手だった。 父が子供の頃(大正時代)には、トマトは馴染みがなく、 「トマトのことを赤ナス、ゆいよった」 「唐柿(とうし)ともゆいよった」と父は言っていた。 はじめて、トマトを食べた父は、そのあまりの生臭さに食べられなかったそうだ。 「それで、ワシは、トマトに砂糖醤油をかけて食うようになったんじゃ」と父は笑いながら、いつもひとり砂糖醤油で食べていた。 ★チシャ(チシャ揉み) うちの前の家に■ふーちゃん■というおばさんがいた。 彼女は、毎年夏にはチシャを作っていて、持って来てくれた。 「柔らけえぞ、旨いから、まあ食べてみんせぇ」と言いながら持って来てくれた。 柔らかなチシャは、手でちぎって、炙った出汁雑魚と混ぜ、酢味噌(酢・味噌・砂糖)で食べた。 チシャ揉みという名前で、夏の食べ物だった。 夏は、なるべく火を使わないような料理が多かった。 火を使わない食事をしながら、お昼御飯が終わったら、どこで泳ごうかと楽しい思案をしていた。 岡山の田舎で、テレビもない時代だったので、ほかの家がどんなものを食べていたのか、私は知らない。 しかし、当時の食事のことは、今も鮮やかに覚えている。 ■冬の食卓:鯨肉と水菜■ ■冬の食卓:「煮食い」と「煮こごり」■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.07.26 11:17:07
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