テーマ:懐かしい昔の話(548)
カテゴリ:父の麦わら帽子
母は、きょうだい10人の末っ子だった。
その中でいちばん仲がよかったのが、12歳年の離れた姉・佳乃。 その母の姉・佳乃が5人の子ども達を残して亡くなったのは、私が小学校の3年生の時だった。 母は、私たち家族を残して、慌てて、通夜・葬式に行った。 子どもというのは、母親が家のいなということは、さびしいことだった。 たった2~3日のことでも、帰りはいつかと父に尋ねた。 そして母が帰ってくるという日、父は子ども達を前にこう言った。 「お母ちゃんはなぁ、大事なお姉さんが死んでつらいんじゃぁ。 じゃあから、そっとしてあげにゃあ。 お母ちゃんにあんまり、うるそうしたらいけんぞ。」 父の細やかな気持ちが分かる言葉を 覚えているが、帰って来た母親にまとわりついたのかどうかは覚えていない。 6月5日、夫の母親が100歳の誕生日を迎えた。 6月19日は、市から100歳の誕生日のお祝いがあり、市長さんに祝ってもらった。 そして、6月23日14時25分、永眠した。 大正、昭和、平成、令和を生き、100歳の誕生日をみんなに祝ってもらったことは、幸せな人生ではなかっただろうか? しかし、70歳を過ぎた息子であっても、百歳を過ぎた母親であって死の重さは変わらない、惜別は変わらないのだと思う。 義母は、私の父が亡くなった時、 「ひとつの時代が終わったわ」と言っていた。 私も、義母の死に、ひとつの時代の終わりを感じる。 百歳の夏は越さざり義母(はは)逝きぬ はるな ▲夫の母▼ ■昔語り:女学校■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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