テーマ:懐かしい昔の話(548)
カテゴリ:父の麦わら帽子
今から65年ほど前の話。 当時、私は岡山県の田舎で小学生だった。 私の住む村の交通手段はバスのみで、集落の橋を渡った所に停車場があった。 木橋の橋面を丸太で作り、上を土でならした橋で「土橋」という。 集落は山のふもとにあったので、橋を渡って田んぼにも行った。 或る時、父が 「うちの村の橋は、昔は無かったんぞ」 「えっ!!」と私は驚いた。 「橋が無かったら向こうに渡れん・・・?!」と私。 「そうじゃ」と父は話し始めた。 「そうじゃ、じゃあから、村中で、自分らで橋を架けたんじゃ」と父。 「竹を切ってきて、大きな籠を作ってなぁ」と父が、村の人が力を合わせて作った橋について話をしてくれた。 「大きな籠の中に、川で拾った大きな石を入れる。 そんな石の入った籠を何個も川に並べて、その上に板を渡したんじゃ。」 「ふーん」と私は、石を入れた籠を思い浮かべた。 竹は村のあちこちに藪があるのですぐ手に入る。 村に住む父のいとこは竹細工職人だ。 「山籠」という籠は、大きくて山に背負って行って落ち葉を掻いて持って帰る。 山籠だったら大きさとしてぴったりだ。 川には大きな石がごろごろしている。 村の人が頑張って作る橋が浮かんだ。 「せぇでも(それでも)、その橋は、大水(おおみず)が出たら、流れてしまう。 水がひいたら、籠を編んで石を入れて、また橋をつくったんじゃぁ」と父は言った。 「ふーーん。 それ、お父ちゃんが子供の頃の話?」と私は聞いた。 「ワシが生まれる、ずーーと前の事じゃ」と父。 「なんじゃぁ~。お父ちゃんの子どもの頃の話かと思った」と私。 「ワハハハ・・・」と父は愉快そうに笑った。 ★寺田寅彦の「天災と日本人」を読んだ。 寺田は、文明が進歩すればするほど災害による被害は甚大になるという洞察を持っていたという。 その話を読んで、竹と石と板で出来た遠い遠い昔の私の先祖たちが作っては直していた小さな橋を思い出した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ★旅先で見たいろいろな橋★ ▲■ロンドン・タワーブリッジ■2018.7.18 ■高知県:四万十川の沈下橋■2023.5/22 ■高知県:神幸橋(じんこうばし)■2023.5/21 龍馬が脱藩の時ここを通った。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.09.26 00:08:44
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