テーマ:懐かしい昔の話(548)
カテゴリ:父の麦わら帽子
今から70年近く前、私は岡山の田舎で小学生になる準備をしていた。
準備をしていたというのは、父や母で、私は、何にもしていないのだが・・・。 戦後のベビーブームに生まれたの私の世代は子どもの数が多い。 新たに小学校に入学するのは、私を入れて5人だった。 当時、バスに乗って幼稚園に通う子もいたが、同じ村の子は、誰も幼稚園に行っていない。 小学校が私の最初の集団生活になった。 当時、今のように就学前から字が読める子がいたのかどうかは知らないが、父は学校から入学前に自分の名前だけ読み書きが出来るようにしておいてくれと言われていたそうだ。 そこで、父は私に平仮名で名前を書くことを教えた。 しかし、ノートはなく、鉛筆もない。 地面に棒を持って書いて、私も棒を持ってそれを真似して覚えた。 今でも地面に字を書く自分の姿を映像も込みで覚えている。 鉛筆とノートは、入学式の後、買ってもらったのかもしれない。 入学する前に、こけしの絵がついたランドセルを買ってもらった。 ランドセルは、皮で出来ていなかった。 厚紙のように思うのだが、厚紙だったら雨が降ったら、破れるのではないか? 6年間持つのか?今考えると何だったのだろう・・・。 教科書も買ってもらった。 運動靴は、その前の年の秋の運動会の時に買ってもらった。 小学校に入学してはじめて、知ったものは多い。 ブランコ、滑り台、シーソー、チューリップ、オルガン、同じ村以外の子ども・・・。 初めてのことのなんと多い事か・・・。 小学生になることは、私にとって、一大事だった。 親にとっても初めての子どもの入学は、一大事で物入りなことだったのだろうと思う。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.26 00:26:13
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