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2024.07.26
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カテゴリ:父の麦わら帽子
 今から65年以上前の話。
私は、岡山県の田舎で小学生だった。
夏休みに入ると母は、いつも使っている布団を作り直した。

▲■中国の水郷のまち 鳥鎮(うーちんにて)
当時は、どこの家でも布団は、家で作るもので、夏に布団の綿と布を剥がして、布を洗うのだった。

まず、掛け布団の「側(がわ)」と取る作業。
側(がわ)とは、布団の綿を包んでいる布のこと。

母は、
「はるなちゃん、手伝おて」と言ったので私も、布団の綿と側を剥がす手伝いをした。
 縫い目を握りハサミで何か所か切って、布を引っ張ると面白いように糸がほどけ、アッという間に、布と綿に別れる。

綿は、竿にかけて、良く干した。
太陽の光に菌作用が働くので、丁寧に乾かした。

▲■中国の水郷のまち 鳥鎮(うーちんにて)
布は、川に持って行って洗濯をする。
村を流れる川の橋の下での洗濯は、楽しかった。

▲■中国の水郷のまち 鳥鎮(うーちんにて)
洗濯が終わると、家に持って帰って、これもよく乾かす。
布が乾いたら、一か所を開けて縫い合わす。

カワニナ 私も塗っていく。
「私は、18歳まで、布団をよう縫わなんだんじゃ」と母は、縫いながら話をする。
「これじゃあいけんと思うって、吉乃姉さんのところに、泊まり込みで教えてもらいに行ったんじゃ。」
末っ子の母は、女手が多かったので、甘やかされて、布団を縫うことをしなかったのだった。

そんな母に、吉乃の夫の喜六が、
「なんじゃ、18にもなって、布団もよう縫わんの」と言ったそうだ。
20年以上前のことなのに、さっき言われたというように悔しがった。
花火 表を中にして、綿を起き、くるくると布と綿を一緒に丸めるようにする。
開いている所を縫って、綿を落ち着かせるために、糸で布団の所々を縫う。


これでやっと一枚の布団が完成した。
掛け布団が終わったら敷布団もある・・・。
布団は、家族の分があるので、一日だけでは終わらない大変な仕事だというのが私にも分かった。

小学生の私は、針に糸を通したり、少しは縫ったりと手伝った。
 布団カバーというものが無かったが、どの家も一年に一回は、こうして布団を作り直していた。
 家族中のふとんを、家事の合間に縫わなければならないのは、丁寧にやっていては、追いつかない。
それを母は、
「三針一寸」と笑いながら縫っていた。

「三針一寸」というのは、一寸の中に3針、1センチに1針の割=目が粗いことの言い回し。

たらい
母は、裁縫が苦手などと言いながら、娘が生まれると、
子ども用の小さな布団を縫ってくれた。
娘が少し大きくなると、人形の布団も作ってくれた。
帽子
私の夏の思い出の中に、母が布団を作り直す景色がある。
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Last updated  2024.07.26 00:07:53
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