テーマ:懐かしい昔の話(548)
カテゴリ:父の麦わら帽子
今から65年以上前、私は、岡山県の田舎で小学生だった。
貧乏だったし、テレビもラジオもなかったけれど、楽しく暮らしていた。 それは、話好きな父と明るく陽気で、歌の大好きな母のおかげだと思う。 話好きな父はいろんな話をしてくれた。 そんな中に、明治の外交官・小村寿太郎の話があった。 「小村寿太郎は、頭のええ人でなぁ」と父は話はじめた。 「しゃあけど、背がものすごう低かったんじゃ。」 寿太郎は、成人しても150㎝にも届かないほど小柄な人だったようだ。 「小柄な寿太郎に対して、西洋人が馬鹿にしていうんじゃぁ」と父の話は続く。 「小村さん、日本にゃあ、あんたのように背の低い人ばかりなんですか?」と西洋人は、小村に言ったと父の話は続く。 「そこで、小村寿太郎は言(ゆ)うた。 いや、日本にも体の大きい奴はいる。 いるにはいるが、体の大きい奴は、両國ゆうとこに集めて 相撲をとらしょうる。」 ここで父は大笑いをする。 つられて、私も笑うのだった。 あらゆる方面に顔を出し、絶えず動き回る小柄な小村を、欧米の外交官たちは "rat minister"(ねずみ公使)と呼んだという史実もある。 日本では、体格が小柄で身なりも貧相、毒舌で周囲から変わり者呼ばわりされてきた小村が外交官となるのを反対する声も多かったという。 父の話てくれた小村寿太郎の話は、事実だったのだろうか? 先日、あるタレントが他人を揶揄する発言をし、テレビのCMをおりるなど大きな問題になった。 いわれた方は、何も返すことが出来ない「タレント」だった。 ちなみに「タレント」というのは、才能、あるいは才能がある人を指す言葉をいうのだが・・・。 小村寿太郎のように、相手をぎゃふんと言わせるような「才能」のない「タレント」だったのだ。 この事件で、父から何度も聞いた小村寿太郎の話を思い出した。 話の後、父は 「背の高いのは、ええことじゃなぁ」と笑いながら言った。 明治45年生まれの父も、小柄な人だった。 1855年10月26日(安政2年9月16日) - 1911年(明治44年)11月26日)。、 日本の外交官、政治家。 外務大臣、貴族院議員(侯爵終身)などを務めた。 イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮(韓国)の公使・大使を務め、特に2度の外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成(関税自主権の完全回復。 治外法権は陸奥宗光が改正)などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物として知られる。 日向国飫肥藩の下級藩士に生まれた小村は、病弱で一五〇センチに満たない身長、非藩閥出身と恵まれない出自ながら、第一回文部省留学生としてハーバード大学に留学。 抜群の語学力と高い交渉能力を身につけ、日本を「一等国」に引き上げた。 帝国主義と国際協調の間を巧みに動いた外政家。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.09.26 00:14:50
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