昔語り:待つが祭
私の子どもの頃は、世の中、全てが貧しく、質素でした。普段の食事は、主食は、麦飯、後、ほとんどは、自給自足の野菜中心。衣類は、親戚や隣近所からのお下がり、それをまた、着られなくなったら、下に回す。そんな中で、盆、正月とならんで楽しみだったのが、秋祭りでした。その日は、祭りのご馳走が食べられます。その日は、普段のボロの服ではなく、マツリゴが着られます。だから祭りは、子どもだけではなく、大人も楽しみにしていたのでした。「どれどれ、もう、できたかな」。父が、祭用に作ったドブロクのカメの蓋を開け、出来具合を試します。「うん、旨い。」酒好きの父は、祭の日まで我慢できず「お毒見」などと笑いながら飲みます。母は、私たち子どもに手伝わせて、障子の張り替えをします。破れた、障子紙をはがして、川で、桟を洗います。乾かした後、真新しい障子紙を貼ると、急に家の中が明るくなり、ウキウキしてきます。*マツリゴ*は買ってあるし、後は、祭を待つだけ・・・。祭には、母のチラシ寿司が食べられるし、栗も食べられる・・・。みんな、ウキウキ、お祭モード。「ああ、早く、来ないかな、お祭・・・。」と私が言うと父と母が笑いながら言いました。「待つが、祭じゃ。」待つが祭・・・。祭りのために、何日も前から、家の中を整え、ご馳走を作って、服を揃え準備をします。祭の用意をする時から、待っている間から、祭はもう始まっているのです。祭りを誰よりも心待ちにしていた父と一緒に、故郷の岡山に行ったのは、2001年の秋。それが最後の故郷への旅となり、その4ヶ月後、一ヶ月足らずの入院の後、父は亡くなりました。**マツリゴ**ボニゴ、ショウガツゴと同じ祭用の新しい着物という古語。服だけでなく、靴下や下着なども「マツリゴ」です。■October 4, 2002に書いたものに加筆しました。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★9月26日*彼岸:彼岸篭り/父の麦わら帽子目次*UP