初原物語 第二部 尾籠(ヲコ)物語3
ー妄想エロじじいのひとりごとー (タイムマシンはつくれない) 森とサバンナの中間で生きる二本足のサル、だんだんと森に棲むサルと没交渉になっていく。新しい種。オスはメスのためにサバンナに出て、野獣を倒しその皮を剥ぎ取り持ち帰る。 ボノボやチンパンジーもそうとうスケベだが、ヒトほどではない。繁殖のための本能以外にコミュニケーションとして、性的行為を使うがヒトほど観念的ではない。むしろ積極的に見せるから、想像力つけることにならなかった。ヒトは隠すことによって想像力という力を得たのである。発情期に性皮(にせ発情を含めて)膨らますポノボの方が、エロぽい。しかしボノボのオスはヒトのオスほどエロ頭にはなっていない。やはり隠すことがオスの想像力を生み出し、知性(考えること)を育てた。そうに違いない、エロが人類の始まりなのである。 集団のすべてが二本足になったかというとそうはいかない。二本足になるにはそれなりの努力もいるし、教育もいる。二本足になりきれないメスはオスのエロの標的にされる。ここで、集団の中に階層ができていく。 人間を他の動物と分けているのは、エロと私有欲だけである。これは「ヲコ幻想」からの始まりである。そして今でも、ヒトを動かしている根本原理はこれしかない。芸術であれ犯罪であれである。 もはや物語として書き続ける力は、この耄碌爺にはない。だから終わりにします。 頭の中が、90%エロ妄想、残りの脳みそで、なんで人間は戦争ばかりしているのかと考えられることが、たまにある。どこまで歴史を巻き戻せば、争いごとがなくなるのか。結局のところは、ヒトが立ち上がったところまで戻らなくてはならない。それも最初の争いは、男(オス)と女(メス)。これが発展していって、男対男、女対女、それの代理の争いとなっていく、もちろんそこに私有の欲がからむ。そしてそれを見えなくしようとするから、争いは大きくなり、わからなくなってしまう。戦争てそんなもんです。 「ヲコ幻想」と「私有欲」だけが人間の原理であるといえるかが、次のテーマーである。(おわり)