君が逝った日・・・。
確かにあの頃の君を、覚えていたよ。そう…生きていた頃の君を。 私が殆ど忘れていた人…、と言うよりは、自分自身も病魔に冒されていた 時期だった為に、彼のその後を知る術が無かった、と言った方が正しいかも しれない。 一週間前、何気にAMAZONに入って目に入った物は、31歳で肺ガンにおかされ 余命2年と宣告された「奥山貴宏君」の遺稿本だった。 最初に出版された「31歳ガン漂流」を読んだ時は、「可愛そうだなぁ~。 まだ31歳だなんて。これからが一番良い年代なのに」と思っていた。 その本は飄々とした彼のライターらしい書き方で、暗くもジメジメもして なくて、読んでいる方は「案外、途中で良くなったりしちゃうよ、きっと」と 思わせる位、元気でユーモアに富んだ文章だった。 私が死んだように生きていた頃に「32歳ガンエヴォリューション」、そして 念願の小説「ヴァニシング・ポイント」を刊行している。 そして、最後になった「33歳ガン漂流LAST EXIT」を手にして、私は呆然と していた。一体、何時、逝ってしまったのだろう。 ネットで検索してみると、ブログで書いていた物がまだ多く残っていた。 沢山の人達からの励ましや、応援など・・私の知らない時間に、彼は沢山の人と コメントを取り合い、色々な話題が書かれていたのだろう。 本の最終章に、彼の母親のコメントが書かれていたが、それまで彼の闘病生活の 一部始終を読んでいた、という実感が全然無かったので、虚を突かれた感じに なった。読み始めた途端に、滂沱の涙が流れて本が読めなくなってしまった。 彼のドキュメンタリーも、2006年に再々放送されたいたようだったが、私は 見れなかった。残念で仕方が無かった。もう一度、元気だった頃の君が、歩いて いたり、誰かと話していたり、笑っていたりしている映像を見たかった。 私が頑張っていた時、君も頑張っていたんだね。 命は限り有るもので、病気になったり、いきなり事故で死んだり、って人は 今もこの時間に沢山居るのだろう。 今生きている私達でも、自分の死生観を考える事は無い。 それは、明日は必ずやって来る、という約束も無い代わり、いつ来るか解らない 神様との約束の日なのかもしれない。 私の父も42歳の頃に、肝臓ガンと胃ガンを併発して、病院に行った時は、 すでに手の施しようが無かった状態だった。それでも、一縷の望みを託して 札幌医大に入院したが、首のリンパ節に出来た腫瘍を取る為だけに、父は 酷い痛みにトイレに起き上がる事さえ出来なかった、と聞いた。 その時、同部屋に居た若い男性患者が、父の体を起こしてくれたのだが、 医大とは何と非情な所なんだろう、と思った。 もう、すでに手遅れになった人間の体にメスを入れるなんて。 しかし、それもいずれガンになった人達の為に貢献出来るのなら、と 母が承諾したのだった。父の死は、人の役にたったのだろうか。 昨今、人の生き死には、随分と頻繁に起こっている。 他人や親族を殺して、平気で居られる人間が居るなんて、以前なら考えられない 事だった。人間形成が崩れ始めているのか、それとも、そんな事件にさえマンネリ化して しまっているのか。 私は思う。奥山君のような真摯な生き方が出来る人間って今の時代、まだ存在して いるのだろうか、と。真っ直ぐに、自分の生き方を自分で決めて 死に向かって敢然と歩んで行った彼を、私は羨望の眼差しで見ている。 そして、逃げる事なく、臆せず、病魔に立ち向かえる日が来ても、ゆるがずに 泣かないで笑って逝けるだろうか、と・・・。 そうあって欲しい、と節に願っている今日この頃である。 ちょっと情けない文章で終わってしまいましたが、奥山君の最後まで自分流を 貫いた姿に、私は心が熱くなるほど、感動しました。 今、ブログで中傷や悪口雑言を書いている人達が居るようで、私の知っている人が 矢面に立っているのが、見ていてとても辛いのです。 人はそんなにも、非情になってしまったのか、いや、そうでは無い、良い人だって 沢山居るのだ、と信じたい思いで一杯です。 今頃君は大好きなバイクに乗って、天国でツーリングをしているのかな~。