pleのサブイボ(鳥肌)
本題に入る前に前フリが少々長くなりますが、重要なポイントなので、しばしおつき合い下さい。一度行った場所ならば、ナビをセットはしてもことごとく「指示」を無視してしかもナビが示す到着予定時刻よりもはるかに早く到着することに命かけてます。命はかけてもスピードは出しません。道に迷ったと思われる時や、初めての場所に行った時も鼻を利かすと目的地の方向がわかるという特技があります。目をつぶって2~3回呼吸すると、目的地のニオイがするんです。昨年の東京では迷ってパニクったので、このワザは関西でしか通用しないようですが。マチャミと違って、地図を見るのは得意な方だと思います。だから私が地図を見たり、方角を知っている場所に行けないはずがないのです。迷うとすれば体内コンパスが狂ってしまう東京と、「何者か」に誘導されてしまった時なのです。今まで京都では、しばしば安倍晴明公に翻弄されました。厩戸皇子(聖徳太子)には2日間に渡って導かれたこともあります。 さてさてそろそろ本題に入ります。前回まで、長々と「天皇陵について」書きました。そのきっかけは小さな新聞記事でした。神功皇后陵が調査されるかも知れないという記事。古代史の本を読んでいても、神社巡りをしていてもこの神功皇后(息長足姫命=オキナガタラシヒメノミコト)はよくお目に掛かります。夫である仲哀天皇亡き後、皇子である応神天皇が即位するまでの間約70年間もの長きに渡ってヤマトのトップに立った皇后です。日本書紀でも、天皇と同等の扱いでその歴史が記録されています。また全国の八幡社、住吉社をはじめ多くの神社では聖母として、あるいは武運の神などとして祀られています。なのに、新聞記事を読んでも神功皇后陵と言われる五社神古墳がどこにあるのか知りませんでした。応神天皇陵が大阪府羽曳野市にあるので、その付近かと思っていました。 あ、失礼。ここからが本題です。日曜日のこと。時折、、台風の置きみやげのような小雨が降る中「奈良・斑鳩one dayチケット」を使って奈良に行きました。お出かけ時の私のお目当ては神社とビールですが、今回は家内のリクエストに従って、薬師寺に行くことにしました。平山郁夫画伯の壁画が公開されている期間ではありませんが、ビールさえ飲めるのならどこだって行くのです。珍しく、撮影に行きたい神社も思い浮かばなかったんです。 先ずは法隆寺・・・。バスを降りるとファミレスがあったので腹ごしらえ(もちろんも)厩戸皇子(聖徳太子)には特別の思い入れがあります。ここのことはいつかblogに書きたいと思っているのですが、なかなか納得のいく写真が撮れません。法隆寺に関してだけは、中途半端な画像で書きたくないのです。(今回はこんな画像でお許しください) . 夢殿では、前回ここに来た時のことを思い出しました。不思議な力に導かれるように、思いもよらず厩戸皇子ゆかりの地を巡ったことです。厩戸皇子のお導きあの時のように、夢殿の本尊である秘仏・救世観音の公開期間ではありませんでしたが閉じられた扉の向こうにいらっしゃる救世観音の姿がはっきりと感じられたような気がしました。(『皇子、また何かたくらんでおられませんか・・・?』) . 続いては薬師寺へ。初めてここに来た時は東塔と東院堂くらいしか見るものがありませんでした。今では再建・復興が進み、盛時以上の大伽藍へと生まれ変わりつつあります。薬師寺鎮守の休ケ岡八幡宮は、リサーチ不足のため参拝出来ず残念でしたが。最近出来た玄奘三蔵院伽藍にある平山郁夫画伯の玄奘三蔵求法の旅を描いた「大唐西域壁画」は次回は9月16日~11月25日に公開されます。近くにある唐招提寺は、金堂修復工事中(2009年秋まで)のためパス。ちょうど金堂内で、若いお坊さんによる説教が始まりました。くだらないダジャレとギャグに、強烈なツッコミを入れたくなる衝動を抑えつつ時間の関係で途中まででしたが、ありがたく拝聴させていただきました。その説教の中で境内や仏像の説明がありました。薬師寺の境内は、時間の流れを顕しているとのこと。 . 釈迦の墓である塔は過去。 . 人々の健康を祈願する薬師如来が坐す金堂は現在。 . そして釈迦が入滅した56億7千万年後に現れるという弥勒仏の大講堂は未来。 . 金堂と大講堂の間には、たくさんの蓮の鉢植えが並んでいました。時期か時間帯が悪かったのか、咲いていたのはごく僅かでしたが。 . そして最後は平城宮跡へ。奈良市内にありながら、野原の状態で残されています。多くの木簡が発見された長屋王の邸宅跡は朱雀門の東、約500mの所にありました。保存されることなく、S百貨店が建設されました。そのS百貨店が倒産したのは、長屋王の祟りかも・・・。今は「サトーココノカドー」みたいな名前のスーパーになっているようです。もちろんここは平城京の一部ですが、広大な土地が開発されることなく保存されています。天皇の住居地であったこの平城宮跡の半分以上が、未だ未調査なのだそうです。 . 現在、大極殿の復元整備が文化庁によって行われています。完成予定は平城京遷都1300年にあたる、平成22年だそうです。ん??鳥肌事件ですか?すっかり忘れていました。次回に書きますm(_ _)m