カテゴリ:アルプスの地へ
さて、ブロ友さんに「また古い記事かいな」と文句を言われそうですが、平和な日々の思い出はやはり此処に残しておきたいと思い、北朝鮮のキムがプーと手を組み、ロシアに兵を送った事によってますます世界情勢が怪しくなりつつある(←クリック)ことに憤りを覚えながらも、過去の良き日に心を寄せて編集し直しする事にします。それにしてもキムはここでもやってくれましたなぁ~(←クリック) (初公開2016年07月23日-再編集2024年10月) 2016年7月3日 日曜日 2022年に消滅したウェブリブログで2013年の5月「春のチロルは寒かった」、2014 の8月「アッチャ~、チロルじゃなかったじゃ~」、2015年の9月「アルプスの秋の始まり」と言うタイトルで書いた幾つかの章からなる3年越しの旅日記の宿泊先のホテル・タンネンホーフ(←クリック)からのお誘いの通知が5年目の今年もまたやって来ました。何とも美しい場所ですっかりチロルに行っているつもりだったのですが、実はそこはお隣のザルツブルク州だったのでした。 昔、ウィーン少年合唱団が映画「ほがらかに鐘は鳴る」の映画で夏の休暇地での撮影をしていましたが、あれもチロルのヒンタービッヒルではなくてザルツブルク州のパルシュにある林間学校だったのです。 その時の撮影動画がお馴染みのこれです。まるでチロルにいるようでしょう? ゲオルクさんの本「小さな歌」の41章には、ランク隊がオーストリア・ドイツ演奏旅行でザルツブルクを経由する都合上、この映画の撮影が上手くそこで予定に組み込まれた事が書いてありました。次の公演先の日程が決まっていたので、更なる撮影には地元の小学校から団員達の影武者が選ばれたそうです。色々裏話のある、ファンにとっては興味深い本ですよ。そういえば59年に来日したマイヤー隊も日本公演の途中に「いつか来た道」の映画撮影をしていましたね。公演中、どうやって日程を組んだのでしょうね。 サンクト・ヨハンインポンガウへの2014年の旅行ではバイロイトの近くのビショップスグリューンに立ち寄り、大雨に合って途中で全速力で向かったローゼンハイムでバイエルンと言う宿に宿泊しました。その年はウィーン少年合唱団も冬支度姿で歌った世界最大の氷の洞窟のある街、ヴェルフェンを見学し、途中でメルヘンの世界の様なミッションスクールを発見しました。 聖・ルーポルト私立ギムナジウムでした。夏休みで誰もいなかったのが残念。 2015年はレーゲンスブルクに立ち寄りましたが、大聖堂で合唱団を聞ける時間には間に合いませんでした。国境に近いエルゼンエルツトでインターネットも付いていないアルプスのバラと言う名前負けする小さな旅館に泊まり、夕食後にハンガリーから来たと言う女給さんに中東からの避難民の話を聞きました。 彼女の甥が国境警備隊にいて、鉄線の国境の向こう側の難民から赤ん坊が投げ込まれ、必死で受け止めると後でその親が名乗り出て入国させてもらうと言う手口を使われたとか、警備隊が食べているのと同じサンドイッチを配られた難民がそれに唾を掛けて捨てたとか、幾つも用意されているゴミ箱が空で、その周りに山のようにゴミが散らばっているとか、新しいバスを用意してオーストリアの国境まで送った後、バスの中にはあちこちに糞尿がしてあったとか・・・。 こんな悲しい避難民がもう一人たりとも現れなくて済む日は来るのでしょうか。プップクンもイスラムには好感を持っていませんが、サンドウィッチに関してはイスラムが疎む豚のハムが入っていたのだろうと言っていました。それにハンガリー人はかなりの外国人嫌悪の傾向があるそうです。 今回はミュンヘンを通過してチロルに入り、その州で最も大きな湖、アッへン湖に途中の宿を見つけることにしました。ベルリンを発ってから9時間、魔法瓶に詰めたコーヒーも、明け方に作った七面鳥のカツサンドも、きゅうりのサラダも、塩じゃがを一つ残してすっかり食べ終わりました。 すでにチロルに入っています。 さて、アッへン湖の一番北にあるショラスティカと言う小さな村に着いてから、周りをぐるりと巡ってこれ、と決めた私達のペンション(←クリック)です。 高そうではなかったし、単にこの楽しそうな庭が気に入ったからなんですがね。 此処にはいろんなおとぎ話の主人公が集まっているけれど、この黒くて怖い木のおじさんだけには夜、出会いたくない。 典型的なドイツ、オーストリアの古いペンションの様子でした。 ダイニングキッチンと別室の付いた家族向きのお部屋の値段は一泊35ユーロ。 当時は単に朝食付きの一泊なら一人頭25ユーローでした。 私は旅行中でも自分で料理をするのが好きなので、気軽で長い滞在をする時にはこんな宿の方がもってこいですが、今回は朝食付きの一泊です。 お部屋から見えるのは嬉しいチロル山脈の景色です。ウィーン少年合唱団の山荘のあったヒンタービッヒルはどっちの方角なのでしょう。 まだ日が高かったので表に飛びだすと愉快な歌声が聞こえて来たのでそちらに足が向きます。 近くの軽食店に人が集まって楽しそうに民揺を歌っている最中でした。 何だかやっぱりオーストリアの田舎では民族衣装が目に付きますね。 席のお隣さんまでこんな格好をしているんです。ただしこの地域にはきっと何かの催し物があってその帰りなのかもしれません。 フンフン、やっぱりそうでした。貸し切りバスが止まって此処で降りたのは楽団員らしき人達です。 さて、暗くなるまでの時間にこのあたりを散策すると自然の水浴池があり、その水の澄んでいる事ったら。 このペンションの朝食は実につましいものでしたがね。私達は贅沢に慣れてしまったのかも・・・(いえ、日本のブロ友さん達の贅沢から比べたらお笑いかもね) それにしてもチロルのアッヘン湖はこんなに綺麗なところでした。 後ろ髪を引かれながら最後に一瞥してこの美しい湖とお別れです。 黒い煙が見えたので火事か、と野次馬根性が出て目を凝らしたら、観光客向けの蒸気機関車でした。 こんな景色の中では自分をただ幸せに感じてしまう。そこで一つ残っていた塩じゃがを頬ばってもっと幸せ気分になりました。 チロル州からザルツブルグ州に入ったとたんアルプスを背景にお花のお化けまで出没です。 アルプスの山々はチロル州もザルツブルグ州も同じ美しさ。 なのでこんな景色ばかり見ていたので、当時はこの州もすっかりチロルだと思い込んでいたのでした。いい加減な旅の(無)知識です。 さて、ここまでくると私達のホテルの地下駐車場まではほんの短い間です。 地下駐車場から表に回ると既にお馴染みになったいつもの光景。 此処には何時もながらの4泊5日の滞在です。 頑張って15時までに到着するとホテルのお客の為に軽食が用意されますが、まずはチェックインで歓迎のスパークリングワインが出されます。私はいつもジュースです。すると攻撃的なスズメバチがやって来てジュースを飲もうとグラスの縁に止まりますが、意地の汚いのは中に落ちてしまう事もあります。スプーンで救い出してやるにも羽はジュースでべったり。せっかくテーブルの上においてあげても自分でテラスに落ちてしまい、結局片付けに来たウェイトレスに踏まれてしまうのです。儚い人(虫)生ではありませんか。 お部屋に荷物を置くと軽食やケーキの出るお茶の時間になりました。 私の見るザルツブルグ州で最も美しいこの地方はルカ(1972年に来日したウィーン少年合唱団の団員)のおじいさんの懐かしい故郷。彼の先祖はこのあたりで大家だったらしく、同じ苗字の親族がかなりいるそうです。 これは2013年の春の窓からの眺めでした。今回のお部屋の窓からはこんな夏の景色が望めます。 プップクンはサウナ、私はタブレットでドラゴンゲーム。 そして待ちに待った豪華な夕食の時間です。 どうやら今日はデザートの食べ放題らしいですよ。 何時ものごとく、サラダも取り放題でした。 このホテルは朝夕の食事も、午後の軽食やおやつも、ワンダーフォーゲル(山歩き)のサービスまでがすべて両金込みになっています。 なので、次の日は参加することに決めました。 朝食の後、一休みしてからの山歩きですが、お年寄りが多いので、ホテルから小型バスで緩やかな山道のコースの入り口まで運んでもらえます。 とはいうものの目的地までの歩きはかなりきつくて、ひぃひぃ言いながらひと汗掻いた後の休憩は最高なのです。 (2024年の今日、この写真でゲオルクさんの本の一節を心に浮かべました。 「3千m峰から遥かなイタリアまでの遠景を望みながらの休憩もお昼ご飯と同じくらい素晴らしかった」 ウィーン少年合唱団の山荘がヒンタービッヒルにあった時、山歩きの少年達も山小屋でこんな景色を見たのかもしれません。そしてお腹を空かせた育ち盛りの少年達が山頂でいただいたソーセージスープはさぞおいしかったのでしょうね。) 私がこの上なくへたばっているとこんな小さな坊やが元気に山道を駆け上って来ました・・・・私だって7歳ぐらいの時はですよ・・・ もう、どうでもいいからトイレに行って先に進みましょう。 もちろん山のトイレは水洗式ではありませんよ。此処はまだ良い方で、スイスの山岳の山小屋ではトイレが崖の上に突き出して建っていて、穴の中から深い谷底が見えました。怖くて足が震えたけれど、もっとすごかったのはそこは水洗でした。つまり谷底から吹き上げる風で自分から出たものが戻って来たのでしたぁ~~。 このように放牧されている牛達も沢山いました。去年の秋に此処に来た時は丁度「牧下り」が始まっていましたっけ。 あれは軽食の時間でハネスに送る絵葉書を書いている最中でした。手を休めてコーヒーを飲もうとした時、男性達の掛け声と幾つものカウベルの響が坂下の車道の方から伝わって来たのです。初めは何だかわかりませんでしたが、ウェイターが「牧下り」だと教えてくれました。 (イメージに合ったこの写真はアッヘン湖の新聞からお借りしました) すっ飛んで道路に向かいましたが、途中で何かの異臭に気が付きました。それでも好奇心の方が大きくて牛追いの行列に近づいて眺めていたのです。長い行列でしたが初めての光景に我を忘れましたね。牛達の去った後に来たのは渋滞で蛇のように続く車の列でした。それは牛よりも質が悪かった。何故なら牛ちゃん達は垂れ流しをしていて、その上をカツカツと上手に避けて通って行ったのですが、後続の車のタイヤはそのほやほやの濃緑の悪臭物をこね回し、更にべったりとアスファルトに長々と塗りこんでいったのです。その悪臭が服に沁み込まない前にホテルに戻ろうと必死で急傾斜の坂道を上がりましたが、地獄のサンフランシスコのように息切れで死ぬかと思いました。 この山道、行きは全く良いよいではなかったけれど、帰りも余り良いよいではなかった。しかし、もちろん空腹を抱えながらお茶の時間には間に合うように戻って行きます。 ホテルの夕食はいつも5コース!! 決まってサラダと前菜は取り放題。 食べきれたもんじゃありませんよ! 何のスープか忘れたけれど、何にしろ美味しいのです。私が頼んだのはバスマティーライスにお魚の料理。サラダは同じ調子なので…。 お腹が一杯でもデザートが食べられるのが不思議。 翌日も良いお天気です。 そこでお隣のケルンテン州のグロース・グロックナーに足を延ばす事にしました。朝食を食べてすぐに出発。 グロース・グロックナーアルペン道路を突っ走ります。 きっもちいい~~~ぃ~~~ グロース・グロックナーはケルンテン州ですよ~。 熟練の登山家でなければ谷を降りてはいけませんって。でもかなり下まで結構簡単に下りられましたけれどね。ぬかるみがあったので先には進みませんでした。 こんな雄大な自然の中では本来の自分の姿が出てしまうものですね。 ここは昔は全体が氷河だったのですが、地球温暖化で氷がどんどん溶けて殆どただの谷になってしまっています。 タヌキはタヌキ類を呼ぶのか、マーモットが姿を見せに来てくれました。 アルペンローゼも咲いていました。 他にも沢山の高山植物を見つけられました。ただ名前がわからないだけです。 こんなところにダムまであるとは意外でした。 広大な景色を満喫していたら空腹を覚えて来たのでホテルに戻る事にしましょう。 途中で絵本のように美しい風景が目に入りましたが、ハイリゲンブルートの街でした。 この美しい光景を楽しもうと、しばし車から降りて眺めていましたが、忍耐力の無いプップクンにせがまれてホテルへと先に進みます。 え?あれってイタリアのドロミテ山脈? ここから見えるの? 何しろアルペン地方はどちらを向いてもハイジの世界なのです。 ホテルではマンネリ化した午後の軽食の後、プップクンは夕食までサウナ、私はPCでゲーム。 翌日は朝からイェーガー湖にドライブしました。 上から見たらこんなところでした。 湖を一回りすると45分程掛かるそうですが私達は1時以上ふらつき回っていましたね。家族連れの観光客もまばらにいました。ドイツ人には此処で飲むミュンヒェンビールは最高だそうですが、私はただのお水だったので最高の気分ではありませんでした。 そして何時もの5コースの夕食の時間、と思ったら今日は表でバーベキューでした。 なんせ贅沢に慣れていないものですから夕食はいつも1番乗りの部類です。他の方達はまだ山歩きから戻って来ていないようです。 うわぁ~、どれもこれも取り放題、食べ放題。ど~しよう。 素敵なお皿になっで満足です。デザートも取り放題で、お菓子やアイスクリームをお皿にたっぷり盛ってきました。 食事の後はホテルの前にある公園で音楽隊の演奏があると聞きました。ただのブラスバンドだろうと気軽に構えていました。 すると・・・ まさか民族衣装の音楽隊とは思ってもいなかったので、慌てて映したら風の音が入ったりぶれたりでひどくなってしまいました。カメラ撮影でこの耳障りな風の音が防げる手段はありますか? 最期までリズムに乗りすぎて演奏動画は撮りませんでした。 その代わり、素敵な双子のお嬢さんたちがモデルになってくれました。 ついでに可愛い年少の演奏者にもカメラに収まってもらいます。 サンクト・ヨハンインポンガウの最後の日がこんな素敵な思い出を残しました。 2024年の今日、このページの為にこの演奏会での写真を整理していたら。 あら、この少年、何か団員時代のゲオルクさんに似ている気がして・・・ この少年はサキソフォンを吹いていますが、ゲオルクさんの本の11章「ホーフブルグのミサ」の中では目の前のファゴット奏者を見ていて、将来の職業にそれを選らばななくて済むように願っていた事が書いてありました。でもフロシャウワー隊のソリストのマルシャートさんはファゴット奏者ですよ~。私はアイルランドのバグパイプを吹く男性を見て、赤く膨れ上がった首が爆発するのではないかと思ったことがありましたっけ。 2016年で5回目のホテル・タンネンホーフでしたが、最後に駐車場に向かう廊下はいつもこれです。 2024年10月17日 コロナで行くのを控えていたサンクト・ヨハンインポンガウ(←クリック)には去年、クラーゲンフルトでハラルド(←クリック)に会った帰りにまた3日間宿泊してきました。 💕 お詫び:コメントを入れる時、何度も数字の打ち直しを要求されるのですが、スパム予防の為だと思います。貴方の失敗ではないのでお気を悪くなさいませんように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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