おっぱいについて考えた
こんばんは、はんぺんです。今日はヨモ山さんに誘われて、ラブピースクラブ主催の「おっぱい祭り」というイベントに参加してきました。このイベントは、パフォーマンスアーティストで乳がん患者である高橋フミコさんが書かれた「ぽっかり穴のあいた胸で考えた -わたしの乳がん体験記-」(バジリコ出版)の出版を記念したもの。「もっとおっぱいについて考えよう。話してみよう。聞いてみよう!」という北原みのりさんの呼びかけのもと、高橋さんを筆頭に、宮淑子さん(ジャーナリスト)、出光真子さん(映像作家)、上野千鶴子さん(大学教授)、浜野佐知さん(映画監督)がそれぞれおっぱいトークをしました。最後に、高橋さんによる「ニップルアップル」というパフォーマンスで終わりました。参加する前は正直、怖いイベントだったらどうしよう~と不安もあったのだけど、実際に皆さんのおはなしを聞いたら、面白くてワハワハ笑ったり、「なるほど!」と感心したり、ものすごく実りのある楽しい3時間でした。で、イベントに触発されて、自分のおっぱいのことをとりとめもなく考えてみました。私は自分のおっぱい、なかなか気に入っています。ピルのおかげで左右の大きさがほぼ整ったし、垂れないし(最近は垂れ乳も風情があってステキだと思うようになりましたが)、なんか去年からサイズ変わっていないのに谷間ができていい感じーと思っている反面、おっぱいって、否応なしに自分の女性性を意識させられて、ちょっと照れくさいという気持ちもあります。そんな自意識過剰な自分もまた恥ずかしい。たとえば、恋人ならおっぱいのことをいわれても平気だけど(むしろ褒めたまえ)、セクシャルな意味での異性と認識していない男性に「けっこう胸大きいよね」なんていわれると、ゾワゾワ~。心が三千里向こうに引いてしまいます。たとえ褒め言葉だとしても、そんな言葉はいりません~。それから数年前、婦人科検診フルコースの体験記を書く仕事をした時のこと。子宮がん検診での内診は恥ずかしくなかったのですが、乳がん検診での触診はすごく抵抗がありました。どちらも男性医師だったのですが、私の感覚だと性器よりおっぱいを見せる方がよっぽど恥ずかしかったなぁ(誤解のないよう断っておきますが、その医師がいやらしい手つきをしたわけではないのですよ)。私が意識しすぎなのかもしれないけど、どうしてこんなにもおっぱいには「恥ずかしい」がつきまとうのだろう。初めてブラジャーを着けた日も、締め付けられる苦しさと、ブラジャーを着けたことでハッキリ存在を主張するおっぱいに居心地の悪さを感じたもんなぁ。そんなわけで、高橋さんの本の帯に書いてあった「乳がんで解放感を味わうワタシって、どうよ?」というフレーズは、なんとなく理解できる気がします。もちろん、乳がんにはなりたくないけど、真っ平らな胸にどこか憧れを感じているのもかも(なので、私は巨乳に興味ないです。理想は微乳で美乳)。まだ冒頭の部分しか読んでいませんが、中身もすごく面白そうです。読んだら感想を書きたいと思います。