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カテゴリ:言語・文化・コミュニケーション
遥か昔の学生時代に、某社団法人でアルバイトとして翻訳をしていたとき、
私は「お茶汲み・コピー取りは悪いこと」と思っていた。 まだ若くて、物の見方が単純だったのだ。 ある時、その社団法人の年配のキャリア・ウーマンの女性が、私にこう言った。 「でも、そうは言っても、誰かがしなくちゃいけないことだからね」 はっとした。確かにそうだ。 最近、珈琲メーカーなど、 珈琲やお茶を自分で煎れることができるマシンを入れている会社が増えてきたが、 コピーを自動的に取ってくれるロボットはまだいない。 有能で賃金が高い人が、数百枚のコピーを自分でとっていたら、時間とお金が無駄になる。 他の人ができない仕事をしている専門職の人などそうだろう。 全自動化されて、機械が自動でしてくれるのでない限り、誰かがしなくてはならない。 では、誰がするのか。 誰もしたくない仕事。 しても、実力やキャリアが伸びそうにない仕事を誰がするのか。 仕事や組織で最も力がない人間(今までは大抵女性だった)か、 チャンスを与えても伸びそうにない人間。 世の中、厳しい・・・ 私はチャンスを与えてくれるように頑張ろうと思った。 与えてくれたチャンスを精一杯活かそうと思った。 実力をつけようと思った。 私はチャンスを与えてもらえるように頑張ったか。 与えてくれたチャンスを活かすことができたか。 実力を伸ばすことができたか。 最近、自問自答する。 少なくとも一生懸命頑張ったと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.01.01 19:59:05
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