城彰二選手の引退試合~これから~
引退試合終了後の城彰二選手(横浜FC)於 三沢サッカー場,2008年1月27日1月27日に1昨年に現役を引退した城彰二選手(鹿児島実業~JEF市原~横浜マリノス~スペインリーグ~横浜Fマリノス~神戸~横浜FC)の引退記念試合が,横浜の三沢競技場で行われました。放送は,日本協会のための出演回数が多い,日本テレビ(関東地方)で15時頃から約1時間ほどの放映でしたが,偶然見ることができました。前半はアトランタ五輪とフランスワールドカップ組として,後半は横浜FCオールスターズのそれぞれのメンバーとしての参加で,90分のフルタイム出場の奮闘でした。結果は,アシストやラストパスなどの周囲の計らいで,シュートチャンスが多かったような。前半は小倉選手(元名古屋グランパス~JEF市原)のヒールパスからのキーパーへの股抜きシュートで1得点目をゲットしました。後半は,鮮やかにミドルシュートで2点目。さらに得意のダイビング?ヘッドでハットトリックを達成しました。いかに,サッカーが周囲のプレーヤーの協力,お膳立てが必要な競技かが解ったような気がしました。また,一緒のプレイした選手の和やかさが伝わった好試合でした。城選手も期待に答えて決めてしまう,元日本チームのエースストライカーだったことが解ります。まだまだできそうな感じがしましたが。(引退時が13年目の31歳でした) 城彰二選手がJリーグデビューした市原臨海競技場城選手といえば,1993年5月に開幕したJリーグの次の年にJEF市原(現在のJEF市原・千葉)でデビューしました。(場所は今はJリーグの試合がない市原臨海競技場)その第1戦に初ゴールを決め,その後に計4試合連続ゴールを決め,日本のサッカー界の1流選手の仲間入りをしました。ゴール後の空中前転?は彼の専売特許でしたし,あれ何この選手は?と唖然としたものでした。何といっても,印象に残る試合は,ワールドカップフランス大会のアジア第3代表決定戦,ジョホーバルの歓喜と呼ばれる試合で,劣勢のチームで,1-2からの同点ヘディングゴールを決め,同点に追いつきました。続いて,中田英寿選手のドリブル~キーパーとの競り合い~こぼれ球を岡野選手がゴールし,奇跡のワールドカップ出場を決めました。しかし,いいことばかり続きませんでした。ワールドカップの本大会ではアルゼンチン,クロアチア戦ではともに0-1ながらシュート数やボールキープの時間に差があり,完敗でした。また,3戦目のジャマイカ戦でも0-2から,ロペス(呂比須)選手のヘディングを中山選手が合わせ,初ゴールしました。けれども,3戦ノーゴールだったエースストライカーの城選手には帰ってきた空港で,バッシングの雨(嵐だったとも)だったともいいます。私は,何も彼一人の責任でこういう成績だったとは今でも思いません。結局は,日本の力は「 こういう程度 」しかなかったのだと,諦めるほかないし,事実弱かっただけなのです。しかし,城選手は,負けたのだから仕方がないと何も言い訳をしなかったそうです。その後,横浜マリノス~スペインリーグのバリャドリード~横浜Fマリノス~横浜FCと移籍が続きました。最後のチームとなった横浜FCでは,J2で優勝し,J1に昇格させた,チームの原動力として有終の美を飾りました。引退試合の最後に,試合に参加した全選手による胴上げが行われ歓喜に溢れました。高校時代の主将の前園選手から花束を受け取り,「努力すれば,何事もできます。」ときっちりと話しました。また,「 きっと監督として,またJリーグに戻ってきます 」と威勢のいい言葉が聞かれました。今後の城選手の協会での任務~更なるコーチ業~----へと輝かしい未来へ向かっていく,その気概に大いに声援を送りたいものです。 Jリーグ開幕戦が行われた国立競技場