東部戦線で活躍した戦車キラー「ユンカースJu87 G-2」
★☆ ドイツ空軍 「ユンカースJu87 G-2」 ★☆ JUNKERS Ju87 G-2 STUKA"KANONENVOGEL"~ 37ミリ機関砲の空飛ぶ戦車キラー ~ この作品は、「1/72 JUNKERS Ju87 G-2 STUKA"KANONENVOGEL"」(FUJIMI)です。Box Art (By Fuzimi)★☆『 Rudel´s Stuka Cannon Ju87-G3 』★☆ ★☆ 解説 ★☆ 大戦当初のドイツ軍が空軍と陸上兵力、装甲軍が見事に連携した”電撃作戦”で、瞬く間にポーランド、フランス、遠くロシアまで連戦連勝で進撃した際の空軍機で活躍した急降下爆撃機「ユンカース Ju87 スツーカ」がありました。このJu87はA型から始まりエンジンや装甲・装備の強化とともにB型、D型と発展しましたが、このモデルは、その最終シリーズであるG型-2をリアルに表現したものです。G型の特徴は、それまでの爆弾投下型の急降下爆撃機と異なり、両主翼下に「37ミリ機関砲FLAK18」を各1門の計2門を装備しており、東部戦線での強力なソ連軍戦車や装甲車両を撃破するために開発された対戦車攻撃機でした。このモデルは、ソ連軍戦艦マラートを撃沈、100両以上の戦車撃破の「名スツーカ乗り」として、1945年1月1日、ドイツ軍最高位の勲章、ダイヤモンド剣付金柏葉騎士鉄十字章を授与されるなどで有名であった第2襲撃航空団司令ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大佐の編隊機をモデルにしたものです。 ★☆ Ju87型機について ★☆ 第2次世界大戦中、主に東部戦線で活躍したドイツ空軍のJu87の代名詞となった「スツーカ」は、ドイツ語の急降下爆撃機(Sturzkampffiugzeug)の略で、ユンカース社の制作によるものです。A型は、1936年から38年末までに262機が生産され、1937年のスペイン内乱のコンドル軍団で使用され初めて実戦参加しましたが、その後、機体が再設計されたB型は大戦初期の主力機で、B-1型の1000馬力エンジンからB-2型の1200馬力に強化され、爆弾搭載が500Kgから1000kgとなり、この型から急降下高速時に音を出す威嚇用サイレンが導入され、その後D型では、さらに1400馬力エンジンに強化されると爆弾搭載量も1800kgとなり、最高速度も410km/hとなりました。D型の生産数は、1941年が476機、1942年917機、1943年1844機、1944年9月までに1012機で、最後のG型は、対戦車攻撃機として開発されD-3型をベースにしたものをG-1型、翼端延長型のD-5型をベースにしたものをG-2型とされ、G型全体で約200機が生産されました。★☆『 german WW2 STUKA ju87g shooting T34, T35, A9/10 cruiser tanks with anti-tank gun combat camera video 』★☆ Ju87 STUKA(スツーカ)G-2が、ソ連軍戦車に37mm高射機関砲で攻撃、撃破しているシーンの実写記録です。移動中の鉄の頑丈そうな戦車がいとも簡単にハンターの手で仕留められます。 ★☆ 感想 ★☆ 72/1スケールの作成は、初めての試みでした。でも、何故か飛行機はこのサイズが標準のようです。組み立てて完成すると、元々のサイズが大きいためか72/1でも意外と大きいサイズでした。機体の塗色は、上面をルーデル編隊機の塗装と同じダークグリーンとブラックグリーンの迷彩模様で、下面をライトブルーと明灰白色の混合色としました。完成を見ると、飛行機に大型の機関砲を搭載した姿は、とても強そうに見えました。確かに、急降下爆撃は通常の水平爆撃に比べてもはるかに命中精度が良くて、直接照準に近い方法で攻撃するのでベテランパイロットの場合は、90%近い命中精度があったそうで、戦車は上部装甲が薄いため、被弾すれば1発で破壊されてしまいます。ドイツ軍がそこまでして対戦車攻撃機に変更した理由は、ドイツ軍の攻撃の手の届かないウラル山脈のはるか東側の戦車工場で大量生産される強力な戦車の大群が際限なくドイツ国境に押し寄せてくるのを少しでも食い止めようとした苦肉の策であったのかもしれないなぁと感じました。【中古】プラモデル 1/72 ユンカースJu87 スツーカG-2 カノーネンホーゲル 「THE W.W.II AIR PLANEコレクション」 [7A-F17]楽天で購入ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。