Bail Out ( 脱出せよ)! ~ Kursk,1943
★☆ Bail Out! Russian Tank Crew, Kursk,1943 ★☆~1943年7月12日,ロシア クルスク,『プロホロフカ大戦車戦』~ この作品は、「1/35 Bail Out (奪取せよ)!,Russian Tank Crew(ソビエト戦車兵), Kursk(クルスク),1943」(MB[マスターボックス]社・ウクライナ)です。 エンジン部が燃える戦車、必死に脱出する戦車兵のシーン 今は存在しない当時のソビエト連邦共和国の国旗 ★☆この製品について★☆ この製品は、2008年春に発売されたMB(MASTER BOX)社(生産国ウクライナ)製のプラモデルのフィギュアキットです。このキットは、表題の『Bail Out(脱出せよ)! Russian Tank Crew,Kursk,1943』・・・とあるように、ストーリィ性を持たせたもので、1943年7月12日、ロシアのクルスク地方にあるプロホロフカ大平原で、ドイツ軍とソビエト軍、両軍合わせて1,500両の戦車による史上最大の戦車戦「プロホロフカ大戦車戦」で敵戦車の攻撃で後部機関部を被弾、破壊された戦車から必死の脱出を試みるソビエト戦車兵のシーンを再現したものです。 Box Art (By MASTER BOX)★☆『 クルスクの戦い 』★☆ このキットは、第二次世界大戦当時の標準的なソビエト戦車兵4体で構成されており、独特の布製でクッション重視の黒色戦車帽、黒色革製のツナギ(上着とズボンが一体となったもの)に身を包み、茶色の革製ベルト、黒色のブーツ・・と黒ずくめスタイルが印象的です。無帽の戦車兵が、T34/76戦車の前部操縦席のハッチから仲間の負傷した戦車兵を必死で救出しようとしています。それと同時に無防備な戦車兵を襲おうと接近する敵(ドイツ軍)の歩兵部隊にPPSh-41(サブマシンガン41型)で援護射撃をしている戦車兵、ピストルを片手に戦車の砲塔から今まさに飛び降りようとする戦車兵の姿がその場の緊迫感を一層高めています。 戦車戦で後部機関部に敵弾を受け燃えさかる戦車、運良く助かっても早く脱出しなければ積載の砲弾が誘爆するので早く脱出しなければならないが、戦場では、脱出する無防備な戦車兵を狙って攻撃してくるのだ ★☆伝わる戦車兵の緊迫感★☆ プラモデルなので、当然この4体は、頭部、胴体、手、足、各装備品など細かなプラスチックの断片に過ぎなかったものですが、これを1体づつ接着剤で人の形を作り、指定された塗装を施し次第に完成に近づくと、見事な動きのある戦車兵にみるみる変貌していくのには感動ものでした。そして、T34/76戦車とコラボしてみると、その時の戦車兵たちの緊迫感が伝わってきました。それは・・「被弾して戦車は燃えている、熱と炎で積載の砲弾が誘爆するのは時間の問題、一刻も早く戦車から脱出しなければならない、しかし、戦車の外に出れば敵兵が無防備な自分たちを攻撃してくる」・・という緊迫感です。脱出の様子とそれを援護射撃するシーンで、まるで映画のワンシーンの様です ★☆炎の演出は効果大★☆ 「T34/76戦車は、ガソリンエンジンを採用していたので機関部に被弾すると燃えやすい戦車だった」というあるドイツ戦車兵の記事を読んだことがあり、それを演出するために、燃えさかる炎と煙の表現をタミヤの塗料缶スプレー(ダルレッドとジャーマングレイ2色のみ)で作成し、T34/76戦車の後部機関部付近に配置すると、これが見事でリアルな演出に効果大であることがわかりました。負傷した戦車兵の片腕を肩に乗せ、操縦席から懸命に引き出そうとしています ★☆クルスクでの「ツィタデレ(城砦)作戦」★☆ T34出現による「T34/76ショック」から、これに対抗できる重戦車タイガーI型(ドイツ語読みでは「ティーガー」)、中戦車パンサー(ドイツ語読みでは「パンター」)、重駆逐戦車フェルディナンドやフンメルなどの新兵器が相次いで開発され、いよいよドイツ軍はロシアの東部戦線で一気に優位な情勢に持ち込むためのクルスク突出部に対する夏季攻勢である「ツィタデレ作戦」を1943年5月はじめに予定していました。しかし、ヒトラーの「パンサーやタイガーの一定数量の要求」に間に合わず、結局、7月5日に開始されました。ソビエト軍は、ドイツ軍中枢部に潜入したスパイ(日本でもソビエトのスパイ「ゾルゲ」が有名)から作戦内容を早くから入手し、既にその作戦内容を分析し、進撃路、攻撃目標、兵力、攻撃日時までもが把握済みでした。そのために、クルスク地方の突出部全域(日本の九州全域の面積と同じ)に60万個の地雷原を敷設、鉄条網、機関銃陣地を張り巡らし、兵員133万人、対戦車砲2万門と戦車(T34とKVシリーズ主体)・自走砲(SU-76とSU-152主体)3,300両、航空機2,650機で守られた8個の巨大な要塞を建設して待ちかまえていました。また、その後方にも兵員130万人、戦車・自走砲6,000両、火砲2万5,000門、航空機4,000機を超える予備兵力を待機させていたのです。燃える戦車の前部上方から見た戦車兵のシーンです これに対するドイツ軍は、兵員90万人、戦車・自走砲(タイガーI型141両、パンサー200両・IV号・III号を主体)2,700両、航空機1,800機の体制でした。ドイツ軍は過去に成功した電撃作戦の方式で、まず敵陣地への急降下爆撃とそれに続く重戦車を先頭(これに続く中戦車、軽戦車、装甲兵員車)にした「パンツァーカイル(装甲の楔[クサビ])」と呼ぶ楔形陣形で進撃しています。この作戦では、ドイツ軍の予想に反し、迅速な進撃や予期しなかった巨大な要塞群の出現で突破できず、しかも同時期にアフリカ軍団の降伏とイタリアのシチリア島に英米連合軍が上陸したという情報から、急遽作戦を中止せざるおえず、兵力を撤退させ東部戦線の一部をイタリア方面に配転させました。クルスクにおける戦果のみで言えば、・・ドイツ軍の戦死・戦傷・捕虜 50万人、破壊された戦車500、航空機 200に対して、ソビエト軍は、 戦死・戦傷・捕虜61万人弱、破壊された戦車1,500両、航空機1,000とドイツ軍側に軍配が上がったわけですが、西部方面での英米連合軍の大規模な攻勢からクルクスでの作戦の中止と撤退による東部戦線からの兵力削減とドイツ軍弱体化という結果に至るわけです。 迫り来るドイツ兵から逃れようとPPSh-41サブマシンガンで仲間の脱出の援護射撃をしています ★☆「史上最大の戦車戦」→「プロホロフカ大戦車戦」★☆ 「プロホロフカ大戦車戦」は、その「ツィタデレ作戦」のさなかにドイツ軍・ソビエト軍部隊が移動中に事前に何らの情報もなく突然に接触、衝突して起きた「不期遭遇戦」でした。1943年7月12日の朝、ロシア クルスク地方のプロホロフカ大平原でソビエト側がロトミストロフ中将指揮の第5親衛戦車軍(T-34・SU-76の850両)、ドイツ側がハウザー親衛隊大将指揮のSS第2装甲軍団(タイガーI型新鋭車両100両を含む700両)が偶然にも接触、ここに両軍合わせて1,500両による大戦車戦が行われたわけです。歴史上、これだけの大規模な戦車戦は、まさに「史上最大の戦車戦」と呼ばれるとおりなのです。第2装甲軍団は、SS第一装甲師団「アドルフ・ヒトラー」、SS第二装甲師団「ダス・ライヒ」、SS第3装甲師団「トーテン・コープフ」の3個師団から構成されていました。護身用のピストルを片手に必死の思いで砲塔から飛び降りようとしています SS第3装甲師団のタイガーI型を主力とする300両の戦車に、ソビエト軍戦車800両が攻撃をかけましたが、タイガーI型の88ミリ砲をはじめとする的確なアウトレンジ(敵の射程外からの)射撃により、次々と襲いかかるソビエト軍戦車を破壊、ドイツ軍側の損害がわずか5両だったのに比べ、ソビエト軍は300両も撃破されています。後に戦車戦エースとなったミハエル・ヴイットマン(「ダス・ライヒ」所属少尉)もこの戦いでタイガーI型で頭角を現しており、この戦いを体験したドイツ軍戦車兵の多くは、この時の戦車戦を「戦車の格闘戦というよりも、訓練射撃のようだった」と述べています。それにしても、遙か地平線が見える大平原のあちらこちらに破壊され爆発炎上する戦車、砲塔が吹き飛んだ戦車の残骸、赤い炎と黒煙を吐く戦車が横たわり、その周辺にある死傷兵、油や火薬の臭いがたちこめる状況は、まさに地獄の様な風景であったろうと思います。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪