■クリスマス退院
1年前のクリスマス。ジングルベルが鳴る中、私も娘も産後の経過がすこぶる良好で予定を1日繰り上げて退院。6日ぶりに外の空気を吸い、冬の太陽がすごく眩しくて、不安と嬉しさとあまり実感がないような、とてもふわふわした気分だったのを覚えている。あの日から今日まで、1日も離れることなく彼女を抱きしめ隣で寝起きしてきたのだ。クリスマスがある意味、ママ生活がスタートした日。◆陣痛~出産までの回想録破水+おしるしと陣痛のはじまり編はコチラ→http://plaza.rakuten.co.jp/recreagolf/diary/201012190000/day20 2009 am12:10お産着に着替えた私は内診を受ける。この内診が痛いんだけど、今は陣痛のほうが痛みが強い。子宮口は5センチほど予想以上に開いていた。10センチで分娩室に移動ということで、まずは陣痛室で子宮口が全開になるまでひたすら耐える。ベッドに仰向けで寝転がり、腕にNSTとかいう機械をつけられ、赤ちゃんの心音などを計る。ベッドの脇には畳やテレビがあって、母がそこに付き添いで座っていた。もうすでに数分置きに陣痛があり、痛くてたまらなかった。母親の言葉はあまり耳に入らなかったし、誰にも触ってほしくない。足がむくむということで、病院が用意した医療用のストッキングを履かせてもらう。担当の助産師が挨拶に来た。大柄のかっぷくのいい、おっかさんという感じで(失礼w)、でもそれがかえって私を安心させたのは間違いない。「いい調子で進んでいますから、早くても朝6:00位には生まれるといいですね~」と言われ愕然。どんなに痛くても意外と頭や耳は冷静で、よく聞こえるし物事を考えられたりする。なんですとーーーー。まだam1:00なんですけどーーーー。それって、この痛みがまだまだまだまだ続くってことですか。正直、時計を見ると自信が無くなり気が遠くなりましたわ。そうこうしても、容赦なく今までにない痛みが襲ってきて「痛い~痛い~」ともがくと、「声を出すと疲れてもたないから、なるべく出さないようがいいわよ!」と、母。確かに、最後のイキむ時まで省エネモードでいきたいところだ。でも、声を出さずにはいられず、出したほうがラクになれた。痛くない体制を必死に探るが、どれも効果ナシ。本格的に陣痛間隔と痛みが狭まっているけどこのまま放置。母が何か言おうが、さすってくれようとしても、「うるさい、さわんないで~」と怒っていた。何もかもが嫌。ごめんね、って感じだけど、このときはホント痛すぎて気持ち悪くなるほど。あまりに痛すぎると、人間は吐きそうな位、気持ち悪くなるんだーって思ったり。それと足が2回もつって、1回目は助産師さんが治してくれ、やり方を見ていた母が2回目は治してくれた。感謝。腹も足も痛すぎて何がなんだかわけわからんっ。どんな痛みかって、腰や横腹をハンマーで殴られ続け割れてしまいそうな感じ。お寺の鐘にでもなった感じとでも言っておこう。ゴーン。ゴーン。ゴーン。とね、思いっきり打たれている・・・みたいな。で、途方もなく時間が長く感じながら痛みと戦っていると子宮口のチェック。いよいよ隣の分娩室へ。歩いて移動するのだけど、その前にどうしてもトイレにいきたくて。赤ちゃんが降りてくると、どうも大をしたいみたいな感覚に。で、ちょうどトイレでものすごく陣痛が激しくなり、しばらくトイレから出られずうずくまる。そのまま痛すぎて閉じこもっていると、赤ちゃんがトイレで出ちゃいそうで焦った。と、今なら笑って言えるけど、このときはマジでそう思った。ふらふらしながら分娩室へ辿りつく。ここで助産師さんが母に、「お母さん、娘さんの出産に立ち会います?こちらは大丈夫ですよ。」と、言った。母は思いがけなかったみたいで、せっかくだから入ろうとしたらしく、「えっ、いいんですか?じゃぁ・・・」と、最後まで答えないうちに、「お母さん絶対ダメ!一人で産むから外で待ってて!」と、速攻拒否した私。この辺りの感情は、また他のエントリで詳細を。もうね、一人で獣になって産みたかった(笑)こんな姿、たとえ親でも見せたくないって思ったのね。そんなわけで助産師さんと二人、最後の仕上げです。よっしゃ、なんとかここまで来た!ようやく、いきめるぞぉーーーー!ラストステージに上る気持ちで、分娩台に上がった。時計の針はam3:10えっ、確か早くても初産だからam6:00頃って言ってなかった?ひ~ん。まだまだじゃん。▼ということで、衝撃のアスリート出産?は、いつかのエントリで。はぁぁぁ。思い出すと、ここまでが本当に辛く長い時間だった気がするw