朴さんとのこれまでの経緯(9)
ドイツへのチケットを電話でキャンセルした。もちろんキャンセル料はかかるが仕方ない。明日、旅券を引き渡してカードの払い戻しをしてもらうことになった。代わりにネットで実家へ帰省する為のチケットを手配した。母に電話で「腰痛で今回は諦めた」と告げたら、ヘルニア持ちの母は非常に納得してくれた。両親は私が帰るのは大歓迎だろう。精神的にとても疲れている今、無条件で愛してくれる暖かい家族の中にいることは、自分にとってとてもいいことだ。 でも、心が抜け殻みたいで、何をしても実感がない。幸か不幸か、腰痛は徐々に回復に向かってきた。 やっぱり、相当こたえているんだろうなぁ。腰痛もホテルも二の次で、彼が絶対に会ってくれるというなら、どんな事情を抱えていたとしても旅立っただろう。仕事で嫌な目に遭っても、彼に一目会えるならそんな事は吹き飛ばせただろう。でも、今回は無理だ。奴は一度言った事は撤回しない。以前はこういう事がある度に自分が否定されているような気がして、本当に哀しかったものだが、今は彼がそうとしか言えない事情も判るのでかなり冷静に状況を判断できるようになった。 親友は「そんなririちゃんが健気で痛々しい」と言ったが、そもそも今回の敗因(?)は、彼の予定が決まってしまった後に日程を入れるしかなかったからだ(こっちの休みの都合があるからしゃーないけど)。毎年の秋時期の学会の多忙ぶりのせいで音信不通になるのを考えると、夏位から渡りをつけておくべきだった。それもなー、夏は一人で旅行に行かれちゃったしなぁ。ここで二人で一緒にいられたら絶対に...違ったのに。もう言っても仕方ないのだけれど。------------------------------------------------------- 手を握ってもらって眠った後、「甘えっ子だからびっくりしたでしょ?」と聞いたら、彼は正直者なので「ええ、かなり...」と答えていた(笑)。でもって空港まで見送ってくれた別れ際に、「お気をつけて」と一言言われた。その余りの他人行儀さ(?)に、私は「んも~~~、(こんなんだけど)好きっ><!」と奴の足を蹴飛ばして搭乗口に去った。 札幌に戻ってからもやりとりは続いた。告白はしたけれど、彼は余り「自覚」がなくって、まだまだのんきなものだった。今思うと。-------------------------------------------------------僕も、なんだかいろいろ考えていますが...でも結局、今までどおりの関係でいられたら一番いいかと思っています。お互いに刺激し合っててとてもいい関係だと思います。>この前送った宇多田ヒカルの「distance」ですが...>彼女の恋愛観がよく出ていて、改めて凄い大人な子だと驚いたんだよね。>人と人とは、絶対に「ひとつになる」ことができなくて、>それでも好きな人とは分かりあいたいから、そうありたいと>必死に望むのだけれどやっぱり、どうしても「距離」はできてしまう。>物理的にも心理的にも。だけど、その「距離」は悪いものじゃなくて、>恋愛においてはむしろ必要なものなのではないか?>距離ごとその人を愛すればいいじゃない!>ってことをヒカルちゃんは言っているように思います。>これって、真実だと思うなぁ。 確かにいい曲ですね。僕も何にしろ距離は必要なものだと思います。友人との付き合いでも、ある一定の距離を持っていたほうが、安心できる面があります。「距離ごとその人を愛すればいいじゃない」っていうのは恋愛と距離が相反するものにもかかわらず切り離せないものとしてその人の中に存在していて、(たとえば,十円玉の表と裏は切り離せない存在として十円玉に存在している)だからその2つを含む個人を好きになることでその矛盾は解決できるという、ヘーゲルによるいわゆる弁証法的な考えですね。>朴さんと一緒だと、非常に自由な自分でいられるのが>好きな理由の一つなんですがなんだかなぁ...、>「対等」って感じがするのよね...。私は男の人には>依存しちゃうタイプだけど、朴さんにはそれを>しすぎないようにセーブできるし、かといって凄く自分にはない尊敬>できる部分があるから頼れるし、面白くて可愛いと思うところもあ>るからからかったりとかもできるし(笑)!>改めて、会えて良かったと心から思っています。ありがとうございます。僕もririさんにはあまり気を使わなくていいからいいですね。あくまで,対等といったところがいいです。正直、依存され過ぎるとちょっと辛いです。まあ、甘えるというのと依存するというのは全然違うことだと思いますが...。甘えるということは必要なことかもしれないですね。>連絡が来ないことでかえって、焦らされているみたいで、>テンションが上がるってこともあるのかなぁ。>と言いつつ朴さんは単に忙しいだけで、>そんなテクニック(?)を使うとは毛頭思ってませんが(笑)。 テクニックって、何のことですか?------------------------------------------------------- 最後の一言がとっても朴さんらしくて微笑ましい。今読み返してみても見事に今横たわる問題を言い得ているというか、未来を予見しているかのような内容でちょっと恐い。この時話している「距離」が、同じ単語でも互いの認識しているものに恐ろしく隔たりがあると判るのにはまだしばらくかかる。距離感が余りに違うので、「距離ごと彼を抱えて愛する」なんてことは全くできなかった。この時から3年経って、自分を見つめ直してようやく...という感じなのだ。このギャップが大きいせいでのちのち私は嘆き、彼はおののくこととなる。 6月に会った時、8月にまた来たいと告げた。「全く時間があるか判りません。とにかく会うのは難しいと思います」と断言され(それ以上は聞けなかった。このあたりから今回のドイツ行の件も片鱗が伺えると思う)、奈落の底に落ちた気分だったが、それからしばらく経ちどうやらメドがつきそうだと言われる。私は嬉しくて、やれ温泉に行きたいだの花火が見たいだの、遊園地に行きたいだのとリクエストした。一週間の滞在予定だったが、夜は毎日会ってくれることになった。一日だけ丸々休める日があって、その日は遊園地でデートの約束をした。 この頃からメールで冗談で「ダーリン!」と呼んでいた。多分、矢井田瞳の「Darling,Darling」が流行ったのに便乗したんだろう。なぜか電話で呼んでもふつーに話してたので以後、私の彼の呼称は「朴さん(ホントは名字+くん)」と「ダーリン」の二種類となる。なんでダーリン呼ばわりしてるかっちゅーと...、彼の名前を呼ぶと凄く照れるし(試してみたら電話先で絶句された)、名前も愛称で呼べないというか、崩せないタイプの名前だったから。「朴さん」だけだと、もうちょっとこう...甘さとかファニーさを出したい時には不適だったのだ。なんとな~く適当~に呼び始めたのが下手に意識させないという点で良かったらしく、20回中1回位「ダーリンって呼ばないで下さい!」と指摘されることがあるが、結局その内ちゃんと返事するのである。もちろん二人でいる時にしか使ってないが、はっきり言ってこの事を誰かに知られたら、男児である彼は命取りだと思う(笑)。おおよそダーリンという単語が似合わない人が呼ばれてる、これが面白いのだが、私には文字どおり大切なダーリンなので違和感は全くない。もちろん私は「ハニー」とは呼ばれないけど。