アンブローズ・ピットマンによるスカルラッティの「レッスン(練習曲)」
先日、このブログでタウジッヒ編曲のスカルラッティ・ソナタについて触れましたが、その楽譜が公開されているIMSLP/ペトルッチ楽譜ライブライーというWikiサイトには、他にもドメニコの印刷譜で面白いものがいくつか存在します。その中でもAmbose Pitmanという人物の手になる出版物、「The Beauties of Dominico Scarlatti. Selected from his Suites de Lecons,...」は、ドメニコと同時代の18世紀末に出版された楽譜として興味深い資料でしょう。(入手先はこちら)この楽譜、六つのレッスン(練習曲)からなっていますが、よく見るとそれぞれのレッスンはドメニコのソナタを適当に組み合わせた「組曲」に仕立てられていて、当時の多楽章形式への嗜好を伺わせます。どういう組み合わせになっているかというと、レッスン1:K.31 (g), K. 8 (g), K. 2 (G)レッスン2:K. 13 (G), K.14 (G)レッスン3:K. 5 (d), K. 34 (d), K. 9 (d)レッスン4:K. 29 (D), K. 32 (d), K.33 (D)レッスン5:K. 1 (d), K. 10 (d)レッスン6:K. 19 (f), K. 6 (F)と、全部で十五曲のソナタが長短を問わず同名調で組み合わされています。また、どのレッスンも最後に来るソナタはVivaceとかPrestoといった速度表示のソナタが多くなっているように見えます。この楽譜、最初にホプキンソンという人によってその存在が報告されましたが、どういうわけか当人はこの多楽章構成を見落としたらしく、最初の楽章に使われたソナタの番号だけを報告していたようです。カークパトリックの著作中でも18世紀出版譜のカタログ中にリストされていますが、彼も初めはホプキンソンの報告を鵜呑みにしていたようで、後に訂正を余儀なくされています。ホプキンソンはこの楽譜が1785年にロンドンで出版されたとしているようですが、シェヴェロフによるとその根拠は不明とか。エディターであるピットマンなる人物についても詳細不明で、彼がいつどこでこれを出版したかも明確ではないようです。が、楽譜中に触れられている事柄からどうやら1780年代前半にロンドンで、というのがシェヴェロフ先生の見立てです。こうして見ると、使われている曲がK. 1からK. 34までのソナタなので、元ネタがこれに先行するクック版の印刷譜(南紀音楽文庫にも収録)であることが容易に想像され、原典テキストとしての価値はそれほど高くないようですが、当時の人々がスカルラッティのソナタをどのように見ていたかをかいま見せてくれる、という意味ではやはり興味深い代物です。次の休日には亭主もこの「組曲」版を音にして、実際どう響くか確かめてみようと思っています。(ピットマン氏は前書きでソナタに多少手を入れたことも記していますので、その辺も見所?)ところで、IMSLPのWiki上にあるこの楽譜のPDFでは、2ページ目の斜体の文章がほとんど飛んでしまっていて判読不能ですので、シェヴェロフ先生の論文からここに再録しておきましょう。To James Martin, Esquire -One of the Representatives in Parliament,for theBorough of Tewkesbury,The Beauties of Domenico ScarlattiAre Inscribed, with the greatest Respect,by His most ObedientObliged humble ServantAmbrose Pitman.