LPからの「イタ出し」
亭主のような「昭和の青春」世代は、なけなしの小遣いでせっせとLPレコードを買って聞いた世代。’80年代にCDが現れたころまでには既に数百枚のLPを溜め込んでいました。(現在も亭主の本棚のかなりの部分を占拠中。)もちろん、CDが出てからもしばらくの間はレパートリーの多さでLPがCDを圧倒していたわけですが、まもなく逆転して世紀をまたぐ頃にはLPは市場からほとんど姿を消してしまいました。LPをはじめ、アナログオーディオを知らない世代には多分まったく実感がないと思われますが、デジタルオーディオになって一番変わったのは「雑音の少なさ」でしょう。アナログの弱点の一つは、録音媒体自身が持つノイズから自由になれないことです。磁気テープのヒスノイズ、LPでは針と盤の摩擦音に加え、盤上のキズやホコリに針が当たるスクラッチノイズと、どんなに頑張ってもこういったノイズから「完全」に自由になることは出来ませんでした。ところが、デジタルでは機械が0か1の信号を区別できればよいので、録音から再生まですべてデジタル化されていればメディアの雑音は文字通り完全になくすことが出来ます。(CDの表示で「DDD」とあるのがそれ。)音と音の「間」に訪れる静寂を、LP時代に悩まされたスクラッチノイズに邪魔されることなく、緊張感を持続しながら鑑賞できるというのは実に素晴らしいことです。 こう書くと、なんだかアナログオーディオ全体が現在より劣っていたかのような印象を与えてしまいますが、そうとも限らないのではないかという気もします。デジタル化でノイズフリーになったところは確かに大きな進歩なのですが、再生されたトータルな音として見ると、LP時代に時々出会ったような「驚愕するように素晴らしい音響」に巡り会うことはむしろ希になったような気がするのは亭主だけでしょうか?(まあ、亭主も単に年を経るうちに基準が辛くなっただけ?かも知れませんが...)今でも鮮烈に憶えているのは、ミケランジェリの弾いたドビュッシーの「映像I,II集」(ドイツ・グラムフォン)、あるいはカリオペというレーベルで出現したラヴェルの室内楽のレコードに最初に針を落とした時の驚異的な音響の素晴らしさです。ところで、こういった「名盤」は後にCDとしても手に入るようになり、亭主もさっそく上記LPのCD盤を手に入れて、「感動よもう一度」とばかりワクワクしながら聞いてみたのですが、これがまた期待はずれ。特にカリオペのシリーズは30年も経ってからのデジタル化とあってか、元の音源が相当に劣化していた模様です。というのも、このような古い録音はたいてい磁気テープに収まっているのですが、磁気テープの保磁力が有限だったり、テープの材質が変質するなど、時間とともに記録全体が傷む(かわりにノイズも増える)、要するにテープがヨレヨレになってしまうというわけです。ヨレたテープの前では、現代のデジタル技術もお手上げといったところ。 そもそも磁気テープが経時変化に弱いことは昔から分かっていたことで(劣化の中には重なったテープ間で音が転写されるといった厄介なものもあります)、亭主が若い頃にも、既にテープ上で編集の済んだ音をエジソンの蓄音機さながらメタルディスクにガリガリと刻み込み、それをマスターレコーディングとして保存するようなことも行われていたようです。(そのようなマスターディスクから直接LPを起こした「ダイレクト・カット」盤と称するものも出回っていました。)その点、テープよりはLPの方が(そっと保存されていれば)断然日持ちがよさそうです。そこで昔の録音をCD化するに際し、テープに代わって状態のよいLPディスクを探し出し、それを音源にしてリマスターするといったことも実際に行われているそうで、これを「LPからのイタ(板)出し」と称しているらしい。ちなみに、このごろ新聞で「アイデア商品」の広告を見ていると、手持ちのLPからワンタッチでCDに焼いてくれる便利なLPプレーヤーなどが売られていて、少し心を動かされそうになりました。実は亭主も古いLPプレーヤーを使って自分で「イタ出し」を試みたことがあります。が、これが結構手間ひまのかかるメンドウな作業。ダイナミックレンジを調整したり、トラックとトラックの間を分けたり、また一旦録ったデータ形式を他に変換したりと、どうしてもCDで手に入らないものを何枚分かやったところでウンザリしてやめてしまいました。そもそもLPプレーヤー(DENONのDP-1200、「ダイレクトドライブ」です(懐かしい言葉!))は普段納戸にしまわれているので、その度毎に引っ張り出してアンプにつなぎ直すというバリアもあります。(今のオーディオセットにLPプレーヤーの居場所はないので...)なんかもっと手軽な方法はないものやら。