「音楽の都」ナポリ
昨日の某TV局の長寿番組、「世界ふしぎ発見!」の舞台はナポリでした。食い意地が張っている亭主にとって、ナポリはまずもって大好物である薄焼きカリカリのでかいピザの街。これは誰にとっても同じなのか、当然のようにレポーターのお姉さんがピザをうまそうにほおばる様子を画面に大写し。指をくわえて見ているだけの我々には全く目の毒、気の毒であります。さて、番組ではもっぱら18世紀後半、カルロ7世の時代に焦点を当てて、世界遺産になった大宮殿であるカゼルタ宮などを紹介していましたが、実はこのカルロ7世、D. スカルラッティが仕えていたマリア・バルバラ王妃の夫、スペイン王フェルナンド6世とは異母兄弟に当たります(母親はイザベラ・ファルネーゼ、スペインにおけるブルボン家最初の王であるフィリペ5世の二度目の妻)。当初フェルナンドがスペイン王位についたので、異母弟のカルロスは属州のナポリ副王としてカルロ7世を名乗っていましたが、 1759年にフェルナンドが他界するとスペイン王を継承し、カルロス3世を名乗っていました。妻の影響かフェルナンド6世が音楽好きだったのにくらべ、カルロス3世は全く音楽に関心がなく、彼がスペインに来るとファリネッリは自分の立場を悟ってまもなくボローニャに引退。このとき、マリア・バルバラから遺贈されていたスカルラッティのソナタ手稿をイタリアに持ち帰ったと考えられ、それらが現在ヴェネチアとパルマの図書館に収まっている、というわけです。ところでナポリと言えば、何と言っても亭主にとってはドメニコ・スカルラッティが生まれた(1685年)街であり、父アレッサンドロがその名声の頂点にあった街でもあります。その当時(17世紀末~18世紀初頭)、ナポリはヨーロッパにおける音楽の中心でもあったようで、音楽家として「成功する」とはナポリで、特にオペラ作曲家として名を上げることだったとのこと。(例えば、ドイツ人ハッセはまさにそのような出世街道を地で行った音楽家でした。)約一世紀後(1770年頃)に、英国の音楽史家であるバーニー博士が彼の「音楽の旅(Musical Tour)」の中でナポリについて語った部分にはこうあります。「私はイタリアであらゆる音楽的贅沢と洗練によって我が耳を楽しませることが出来るとすれば,それはナポリでしかないと期待していた.他の都市への訪問は仕事の一環であり,自分自身に与えた課題をかたづけるためのものであった.しかし,その地には喜びへの期待に胸を弾ませながら着いたのだった.二人のスカルラッティ,レオナルド・レーオ,ペルゴレージ,ポルポラ,ファリネッリ,ヨンメッリ,ピッチンニ,そして声楽,器楽を問わず他に無数の第一級の輝かしい音楽家達を輩出した場所にあって,音楽の愛好者たるものが最も楽天的な期待を抱く以外に一体何をするべきというのだろうか?」残念ながら19世紀のウィーンやパリですら、このようなレベルには遠く及ばなかったようです。(現代世界でこれに対応するような街があるでしょうか?思い浮かびませんねェ...)我々が知らない、いにしえのナポリの一面がここにある、ということでしょうか。