コインブラ手稿に含まれるスカルラッティのソナタ
以前このブログでご紹介したポルトガルの友人から、ひと月ほど前にポルトガル語で書かれたスカルラッティについての論文(PDF版)が送られてきました。論文タイトルは「Domenico Scarlatti em Portugal: O Som Italiano no MM 58 da Universidade de Coimbra」、著者はJose Maria Pedrosa Cardosoとあります。大いに中身が気になるものの、亭主にとってポルトガル語は全く未知の言語。文字通り手も足も出ない状況でしたが、最近仕事でもよく使うDeepLという無料のオンラインAI翻訳ソフトがポルトガル語にも対応していることを知り、ふと思いついて試しに最初の数パラグラフを英訳してみたところ、それらしい訳文を出力してくれます。 (ちなみに、冒頭のタイトルを訳すとDomenico Scarlatti in Portugal: The Italian Sound at MM 58 of the University of Coimbra、これなら日本語で「ポルトガルでのドメニコ・スカルラッティ:コインブラ大学音楽手稿第58番におけるイタリアの響き」という感じに理解できます。)例えばこんな感じです。(ポルトガル語) Para conhecer Domenico Scarlatti (1685-1757), a sua vida e a sua obra, é obrigatório segui-lo em Portugal. Por aqui andou e aqui deixou marcas indeléveis, como o seu retrato da Casa-Museu dos Patudos, atribuído a Domingo Antonio Velasco [1738] e os manuscritos musicais dispersas do Norte ao Sul, alguns dos quais como fonte única. Todavia, para além de estudos pontuais, não existe uma avaliação rigorosa e completa do rasto português de Scarlatti: desde a sua nomeação para mestre de capela da Embaixada de Portugal em Roma em 1714, até à sua investidura como Cavaleiro de Santiago em 1738, passando pela contagem incerta do seu tempo em Lisboa entre a sua chegada em Novembro de 1719 e a sua partida para Espanha em 1729. Do mesmo modo, falta a correcta avaliação e justificação da sua obra portuguesa: a que foi intencional e a que produziu e deixou ao cuidado e interesse dos seus amigos.(DeepL英訳) To know Domenico Scarlatti (1685-1757), his life and his work, it is mandatory to follow him in Portugal. Here he walked and here he left indelible marks, such as his portrait at the Casa-Museu dos Patudos, attributed to Domingo Antonio Velasco [1738] and the musical manuscripts scattered from North to South, some of them as a unique source. However, apart from occasional studies, there is no rigorous and complete evaluation of Scarlatti's Portuguese trail: from his appointment as chapel master of the Portuguese Embassy in Rome in 1714, to his investiture as Knight of Santiago in 1738, to the uncertain accounting of his time in Lisbon between his arrival in November 1719 and his departure for Spain in 1729. Likewise, the correct evaluation and justification of his Portuguese work is missing: that which was intentional and that which he produced and left to the care and interest of his friends.上記英訳は全く自然な英語で書かれており、このまま難なく理解できますが、念のためにこの英文をさらにDeepLで日本語に訳すと以下のようになります(一部手を入れました):(DeepL英→日訳) ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)の人生と作品を知るためには、ポルトガルでの彼の軌跡を辿ることが必須である。例えば、Casa-Museu dos Patudosにあるドミンゴ・アントニオ・ヴェラスコ作とされる肖像画(1738年)や、南北に散らばる楽譜の写本など、彼はここを歩き、ここに忘れがたい足跡を残した。 1714年にローマのポルトガル大使館のチャペルマスターに任命されてから、1738年にサンティアゴの騎士に叙勲されるまで、そして1719年11月にリスボンに到着してから1729年にスペインに出発するまでの間、リスボンでの過ごし方が不確かなこともあり、時折行われる研究を除けば、スカルラッティのポルトガルでの軌跡を厳密かつ完全に評価することはできていない。同様に、彼のポルトガルでの仕事についても、意図的に制作したものと、友人の世話や関心に任せて制作したものとの間で、正しい評価と正当性が見出されていない。そこで、この手応えに押されて全13ページほどのテキスト部分を端からDeepL翻訳にかけて英文化し、注釈や表を追記して体裁を整えたPDFファイルを件の友人に返送、英訳がまともかどうかをチェックしてくれるようお願いしてみました(今から考えると随分と過大なお願いをしたものです ^^;;;)。すると、十日ほどして返事があり、なんと英訳に「校正」を入れてくれていました。ただ、修正は軽微なものばかりで、数もそれほど多くはなかった点は亭主の予想通り。我が友人もDeepLの威力に感銘を受けたようで、「プロフェッショナルな翻訳だ」と褒めてくれました(私は単に入力作業をしただけなので大変面映ゆいところですが)。ここまで書いた以上、中身について触れないわけにもいかないので、ちょっとだけ触りを紹介すると、この論考は「カルロス・セイシャスによるトカータ集」(30曲からなる)と題されたコインブラ手稿第58番に1組4曲だけ含まれているドメニコ・スカルラッティの作品(手稿中の第10番)についてのものです。そこでまず問題として掲げられるのが、何故ドメニコの作品がセイシャスによるトカータ集の手稿中に含まれていたのか、という点。「トカータ第10番」はアレグロ、フーガ、ジガ、ミヌエットという4楽章から構成されており、これらのうち最初の3曲はヴェネチア手稿第XIV巻(1742年)に含まれていることから、後にカークパトリックがそれぞれを独立のソナタとしてK 85、K 82、K 78、K 94と番号をつけています。K 94のミヌエットについては、このコインブラ手稿にしかない作品として知られています。興味深いことに、このミヌエット、ヴェネチア手稿では「メヌエット」と改題されているK 78(コイブラ手稿ではジガ)よりはるかに複雑な構成を取っているとのことで、何かありそうな…。いずれにせよ、トカータ集にドメニコの作品が含まれていることからは、2人の間に音楽的にも交流があったことを示唆する証拠とみなされているようです。さて、コインブラ手稿に含まれているこの4曲1組、ドメニコの最初期の作品であることを伺わせますが、彼の鍵盤作品中でこのように明示的な組曲の構成を取った例は他にありません。そこで、次に問題となるのが「このような構成の由来は何か?」となります。著者の見立ては、手稿の編者による「同時代の趣味に合わせた編集」によるのではないか、というもの。亭主から見ると、少なくとも現在まで伝わっているセイシャスの鍵盤作品は、2楽章かそれ以上の多楽章からなっているものが少なくないので、ドメニコの作品を入れ込むにあたっても同じ作法に従った、と思われます。ところで、この論文を眺めながらお題になっている4曲を改めて聴くと、その独特な転調が耳につきます。また、K 82のフーガはバッハのそれなどとはまるで別物で、むしろ後年のソナタにおけるヴァンプセッションを彷彿とさせるものがあるなど、いろいろなことに気付かされました。