バッハの肖像画
昨日(13日)の夕刊で、J.S. バッハの肖像画がライプチッヒに戻ってきたという記事が目に留まりました。所有者だった米国の資産家でバッハ研究者でもあるウィリアム・シャイデからライプチッヒのバッハ資料財団(Bach Archive)に遺贈されたものが正式に引き渡されたとのことで、掲載された写真はどうやらその際に行われたセレモニーでのもののようでした。バッハの肖像画と言われるものは世の中に色々と出回っているようですが、これはその中でも最もよく知られたもので、同時代の画家E.G. ハウスマンによって描かれた2枚の肖像画のひとつだそうです。最初の絵は1746年、バッハが還暦を超えた頃(亡くなる4年前)に描かれたもので、1913年からライプチッヒの市庁舎に架かっているそうですが、下手な修復のせいもあってかなり傷んでいるとのこと。そうなることを知ってか知らずか、ハウスマンは2年後にもう一枚の肖像画を描いており、これが今回遺贈されたもの。状態はこちらのほうがはるかによいとのことです。英国の新聞「ガーディアン」の記事によると、この絵はとても数奇な運命を辿ったようで、1750年にバッハが亡くなった際には長男エマニュエルが相続したものの、19世紀初頭には骨董屋の店先に並んでいたものをブレスラウ(ポーランド西部)のイェンケ家に買い取られ、同家で代々引き継がれていました。ところが、20世紀になってナチスが台頭した1930年代に、ウェルテル・イェンケさんがユダヤ人迫害を逃れるためにこの絵を持って英国に渡り、空襲で焼けないよう、英国南西部ドーセットの田舎にあった友人のガーディナーさん宅に預けたそうです。そして、ガーディナー家でこの肖像画を間近に見ながら育った少年こそは誰あろう、かのバロック音楽の雄、ジョン・エリオット・ガーディナー(1943-)というわけです。その後、イェンケさんは1952年にこの絵をオークションで売却。それをシャイデさんが購入し、絵は米国プリンストンへと渡りますが、長じてバロック音楽の研究者となったガーディナーはそれを再びプリンストン大学で目にすることになります。彼は著作「天上の城の音楽:ヨハン・セバスチャン・バッハの肖像」の中でそのことを回想しています。“His gaze is intense but far livelier than I remembered it … In the lower half of his face one’s attention is drawn to the flared right nostril, the distinctive shape of his mouth creased at the corners, the fleshy lips and jowls that suggest a fondness for food and wine, as the records imply. The overall impression is of someone a lot more complex, nuanced and, above all, human than the formal posture of a public figure would seem to allow, and infinitely more approachable than the man in Hausmann’s earlier portrait, where the stare is more that of a bland and corpulent politician.”そしてガーディナーさん、今度はライプチッヒ・バッハ資料財団の総裁としてこの絵を引き受ける立場となったわけです。(奇遇ですねぇ…)ところで、この絵のバッハは譜面を手にしていますが、新聞の記事はこれについても詳しく紹介しています。それによると、この譜面は「6声の無限カノン」とありますが、ガーディナーによるとそれはちょっとした謎解きを要するものだとか。というのも、6声を生成するためには譜面に書かれている3声部を順方向と逆方向から読まなければならず、しかもそこには二重鏡映カノンまで仕組まれているそうです。その意味で、この肖像画は記事の中で「音楽の肖像でもある」と書かれています。その他、このカノンと14という数字にまつわるエピソード(この肖像画は当時の大学者ミツラーによって1738年に設立した「音楽科学文書交流協会」にバッハが入会するにあたって描かれたもので、彼は14人目のメンバーとなった)なども詳しく紹介されており、大変面白い記事でした。