13年目の記憶(3)
前回、阪急電車が武庫川を渡ると景色が一変した、と言うくだりがありましたが、それについて補足します。武庫川の東側(尼崎市)は、武庫之荘駅前のマンションが致命的な被害を受けているのは見ましたが、後は住宅の屋根瓦が落ちている程度で、さほどひどい状態ではありませんでした。ところが川を渡った西側(西宮市)は、ほぼすべての建物が壊滅状態。素人考えながら、武庫川の流れが一種の緩衝作用となり、東西で被害の度合いが変わったのかな、なんて思いました。【送料無料】災害避難時に備えて安心!アウトドアにも使える寝袋兼用リュック寝袋兼用リュック◆---------------------------避難所になっている小学校は、多くの人たちでごった返しており、避難しているA君が見つかるかどうか案じられたのですが、意外にもすぐに見つかりました。当時は携帯電話が今ほど普及しておらず、お互い連絡のとりようがなかったので、心配したのですが、A君の無事な姿を見て、ことのほか喜んだことです。昇降口には、至る所から物資が送られてきていましたが、それを仕分け・整理するスタッフがいないため、うずたかく積み上げられたまま。パックに詰められた差し入れのおにぎりも、実は余ってしまっているよう。その代わり、水が極端に不足していて大変だ、ということでした。避難所には、欲しいものが不足し、とりあえず不要不急のものばかり集まる、という矛盾した状況が少なからずありました。町内ごとに教室が割り振られていて、布団や毛布が敷かれていましたが、ある教室だけ真っ暗で薄明かりがともっています。見るともなくそばを通ると、薄暗い中に白い棺がいくつも並べられてありました。そう、今回の地震で亡くなった方の一時霊安室になっているのです。線香が焚かれ、すすり泣く声が聞こえていました。突然、命を失ったんだから、せめて丁寧に弔いたい。しかしここにいる人たちは、亡骸を安置する家すらないのです。何ともむごいことかと、天を仰ぎました。断水しているのでトイレもままなりません。僕たちが避難所に行ったときは、それでも避難者が手分けしてきっちりとトイレ掃除を済ませた後だったのですが、掃除前は、言いようのない汚さだったとか。A君が、「倒壊した自分の部屋から荷物を持って来たい」と言うので、僕たちも手伝うべく彼のアパートに向かいました。彼の住んでいたアパートは、激しい揺れのせいで、平行四辺形に傾いていました。隣のアパートは完全にぺしゃんこに潰れています。建物が平行四辺形なので、階段もよじれており、上下するのにひと苦労。部屋の中は何もかもがぶちまけられた状態で、足の踏み場もありません。それでも、何とか必要な荷物を取り出すことができました。(続く)