お彼岸中日、おはぎ考。
実家のお墓参りはできなかったけれど、義父のお墓と、仏壇にはお参りをする。 牡丹餅(広島では、この時期でも『 お萩 』と言う)をつくるのをサボってたら、 近くに住む、義父の姪が義母にお裾分けをしてくれて、助かった(゚゜)\バキ☆ 以前も記したが、この地では「牡丹餅」とも「お萩」とも言わず、「お団子」という。 義母のお団子は、自家製の小豆で手間をかけて漉し餡にし、 これまた自家製のもち米(稲作時代)をすりこ木で搗いて餅にし、 この餅のなかに餡を入れて、外に青黄粉をまぶす。 私の実家のお萩は、なかはお餅、外に餡。 もしくは、甘い黄粉をまぶすだけで、なかには餡なしのもの、の2種類であったので、 最初に義母のお萩に遭遇したときは驚いた。 でも、自家製の小豆、自家製のもち米でつくる「お団子」は、とても美味しかった。 青黄粉も、最初ぎょっとした色にも慣れれば、どうということはなく、 香ばしくて、栄養価も高いようで、美味しい。(値段も少し高い) 和菓子の苦手な私にしては、珍しいことなのである。。。 (和菓子嫌い、餡嫌いは下の少年の方が徹底している) 手間のかかる漉し餡を義母が辞め、粒餡にして5年経つ。 それで十分、と思いながらも、時折、義母の漉し餡を恋しく思うことがある。。。 義母は、義父の姪がわざわざお裾分けに持って来て下さったお団子を、 喜びながらも「粒餡」だし、「青黄粉」でないことを残念がり、 2個だけお仏壇に供え、残りは全部我が家へ下げ渡されてしまった。 私は1つだけいただき、後は和菓子好きの夫へラップをして冷蔵庫へ。 お餅が固くなってしまうけれど、 夫には蒸すか、レンジで温めて食べて貰うことにする。。。 お萩 or 牡丹餅 何故、広島では、春でも「 お萩 」というのか不思議で、 昔、調べたメモ書きたちと、今回ググって確認したものから。 諸説あるが、春でも秋でも「 おはぎ 」という地域は少なくないようでちょっと安心。 春秋の彼岸に食するのは、 悟りの境地である彼岸へ、苦しみに満ちた此岸から渡るための仏道修行に励む7日間で、 春の牡丹餅、秋のお萩を祖先に捧げ、霊を慰め、自分自身の功徳を積むため。 元々、日本古来の太陽信仰から始まっているらしい。 春には豊穣を祈り、秋には収穫を感謝し、太陽が真東から出て真西に沈む春分、 秋分の日に「かいもち」として、神に捧げていた。 そこへ彼岸の中日が春分・秋分であるという仏教の影響を受け、 春秋のお彼岸に食べるものと定着する。 サンスクリットのbhuktaやパーリ語のBhutta(飯)が「ぼた」となり、 mridu , mudu(柔らかい)が「もち」となって「ぼたもち」に。 そのぼたもちは、語感から、牡丹の花をかたどって丸く大きく豪華に作り、 秋に、小豆の粒が萩の花の咲き乱れるさまに似ていることから、 秋の七草の萩の赤紫の花をかたどり、小ぶりで長めに丸められて 「萩の餅」→「おはぎ」となる。 秋の彼岸は、小豆の収穫期とほぼ同じであり、収穫直後のまだ柔らかい小豆を 餡にするために、皮も柔らかく、一緒につぶして粒餡とする。 春の彼岸は、冬を越した小豆となるため、皮が固い。 そのため、皮を取り除き漉し餡でつくる。 ← 、、これは理に適い、納得。( ..)φ この彼岸に、私はおはぎをつくらなかった(汗)。 擂り胡麻(白ゴマ・黒ゴマ)をまぶしたり、青のりをまぶしたりして、 三色おはぎにして楽しんだのは、広島時代である。 それも、小豆の好きな夫が喜ぶから、つくっていたのだが、 そうでなければ、きっとつくらない(゚゜)\バキ☆ 下の少年が独立したらどうなるかな。 お嫁さんが、おはぎを特別好きでなかったら、 お彼岸に、お墓参りはしても、 おはぎを食べる習慣は、なくなっていくのかも。。。??