イノシシによる、熟したみかんへの加害
小田原のみかん園から「イノシシにみかんがやられた!」
10月12日(土)朝、東京での朝市、今年最初のみかん味見してもらう場に、急報がはいりました。
しかし、時空は超えれません。
ましてや、総選挙の10月15日(火)の公示日にむけて、社会全体が動いてるじゃないですか。
私なども、何やかやとその渦の中、その渦中にあったんですが。
10月15日(火)の午後、とにかく小田原のみかん畑に急行しました。
確かにひどい。
私が、東京の消費者に、1個2個と提供すべく、5日前に味試しのためにサンプル収穫をした木ですが、
みかんの8割、9割が、食いちぎられて亡くなっていました。
みかんの木の下には、その食べかすが散乱していました。
これがイノシシの加害です。
1年間、何度も草刈りして、肥料も施肥してきて、
5日前に味試しして、「よし、都会の消費者に提供しよう」と思った、その直後のことです。
その美味しい味ですが、それをイノシシもまた見逃さなかったということです。
味の評価は、人間と猪で一致したわけですが、
その成果をどっちらが手にしたか、その成果を手にしたのはイノシシでした。
だけどこれは、これから本格化するみかんの収穫にとって、緒戦の最初の一つなんです。
これからのが、本格的な勝負なんです。
10月から12月、熟した美味しいみかんをどちらがとるか、その攻防戦のはじまりです。
「どこからイノシシはみかん畑にはいったのか? 」
それが問題でした。
みかん園はイノシシの加害を防ぐために、この3-4年の間の鉄柵で囲ってあるんです。
今や、小田原・早川ではもみかん園も野菜畑も、鉄柵で囲わないと、イノシシのえさ場となります。
地域全体が、鉄柵で「囲い込み運動」をしてあるんです。
この事態に、園主さんは、イノシシが以前に破った、入ってきそうな箇所を点検したんです。
さらに、周囲にひろがる放任園ですが、そのあやしい鉄柵の状況を草刈りして確認したんです。
これは、じつに大変な労力だったはずです。
しかし、出入り口は見つからなかった。
10月12日(土)の東京の朝市の場に連絡してきたというのは、そうした事情からだったんですね。
今回、10月16日(水)、私も朝一番で、問題のみかん畑を見て回ったんです。
以前に破られた個所も大丈夫でした。
放任園となった隣のみかん畑の柵もみましたが、しっかりと大丈夫でした。
ようするにイノシシの入ってきそうな、思い当たる通路は見つからなかったんです。
しかし、どこかに入口が必ずある、それはどこなのか?
今回は、援農の人たちの協力を得て、手の及ばない畑の草刈りを、午前中にしたんです。
そして、午後の2時半くらいでしたでしょうか。
ふたたび、問題のイノシシ加害の畑を見回りました。
今度は、イノシシが入りそうだと思い当たる箇所の、私などの先入観を排しての見回りです。
まずは、いつも人の出入りしている畑の入り口から、
最も日常的に行き来している箇所から、そこから見回り点検をすることにしました。
ありました!
「灯台下暗し」だったんです。
みかん小屋のすぐわきです。
ここは、一番の盲点でして、大丈夫なはずのところでしたが、
そこの鉄柵をイノシシは押しまげて、
20センチくらいのイノシシ通路があけられていました。
ここだったんです。
あちこち探しまわって見つからなかった出入り口は、
これこそがイノシシの通路だったんですね。
それで、付近にあった石でもって応急措置で、
その穴を塞ぎをしました。
これから、この石が、外から侵入してくるイノシシにより、蹴飛ばされてないか。
この石に異常はないか。
それと、これにより、これ以上の加害がストップできるか。
これから、今後の畑の様子を注視していくわけですが。
これだけは、はっきりしています。
みかんが成熟し始めて、そのみかんを狙ってイノシシが、あの手この手で食べようとしていることです。
ことしも、人間とイノシシの攻防戦が、はじまりだしたということです。
世の中は当然ながら、大事な総選挙のさなかですが、
農家にとっては、畑作業にすきをつくらずに、いなければならないこと。
みかんをめぐって、どちらがとるか、その攻防戦の最中にあるということです。