花尊し
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かの時代にケータイ天皇とは時代の先取り(継体/携帯)かの時代のアンコー天皇は寝首を掻かれる(安康/アンコウ)連続殺人犯天智の背中にピッタリ貼り付き振り付けた策士が中臣鎌足。
January 15, 2012
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昔は鏡に霊力があると考えられ鏡に見立てて餅を供えるのが鏡もち卑弥呼は鏡の特注品を中国に頼んだが、昨年その証拠が発見された
January 13, 2012
八木荘司は初代神武から昭和まで古くからの伝承を含み全て実在。岡田英弘は初代神武から第15代応神までは新しい創作で全て嘘。all or nothing 死刑か無実か?さて、嘘吐きは誰?嘘吐きは岡田英弘だ!証拠も有る!第9代開化の兄にして第10代崇神の伯父、大彦の子孫の銘剣、実在は不確実にしても、少なくとも伝承は有った訳で、新しい創作ではなかった・・戦後、皇国史観への反省から日本書紀全否定の自虐史観が幅を利かせために各学者が好き勝手な歴史を作り出した・・しかし、各学者も自説肯定のための日本書紀部分否定はしてもその他の部分については概ね日本書紀の記述で良いのでは・・ということで一致しているのであるつまり、全学者が日本書紀の記述を認めているのである!
December 25, 2011
第一の殺人、蘇我入鹿・蝦夷第二の殺人、古人大兄皇子第三の殺人、蘇我倉山田石川麻呂第四の殺人、孝徳天皇第五の殺人、有間皇子連続殺人犯は処罰されなかった老人を殺した47人は全員切腹だった
December 14, 2011
連続殺人犯の天智天皇をひそかに殺し、その子、弘文天皇を大々的に戦争して殺した天武天皇も、親子孫を3点セットで殺すほど悪人じゃなかった、というか、弘文の子で天智の孫、葛野王は天武の孫でもあった。この葛野王が逆転ホームランを打つ。人事会議がもめたとき、葛野王の鶴の一声で流れが決まり、後に天智系の完全復活へと繋がる。巨人読売のナベツルの一声とは大違いだ。注)天武の天智暗殺は井沢元彦説
December 11, 2011
五萬円札の聖徳太子は本当は悪い奴だった、崇峻天皇殺しという史上希にみる凶悪犯だった?実は、これは罠、推古女帝の陰謀だった、のだ!(聖徳太子の悲劇、豊田有恒)
September 2, 2011
生徒) 性器です・・先生) えっ! チンチン痛いの?生徒) えっ? 正気ですが・・先生) そりゃぁしょうきと読むんだ。 皇后に子が産まれた時、景行天皇(12代)は「臼(コン畜生)」と叫んだ。という。これが日本の学者のこじ付け解釈であるが、李寧熙は、これは誤訳で正しくは「双子だ!」と叫んだ。という。双子は成長し弟のヤマトタケルは兄の手足をもぎ取りバラバラにして投げ捨てた。
June 3, 2011
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殺人現場に居合わせた皇子の嘆き「韓人、鞍作臣を殺しつ」鞍作臣(くらつくりのおみ)は蒸し殺(645年)ろされた蘇我入鹿、韓人(からひと)が殺人犯だが、殺人犯は後の天智天皇と日本書紀に明記されている。韓人に諸説有るが、関裕二の妄想では共犯者の中臣鎌足が韓人、百済王子豊璋であるという。
April 29, 2011
Q 次の文章で憤慨したのは誰か?八侑(やつら)の舞(8×8=64人)は天子のみに許されると孔子は言い、蘇我蝦夷は僭越なりと憤慨した。A1 孔子A2 蘇我蝦夷A3 殺人犯(後の天智天皇)正解はA3、天智天皇の一派なのだが、このQが歴史問題でなく国語の問題であればA1かA2が正解だろう・・漢文史書を正しくA3と読まずA1とかA2とか妄想するのは楽しいけど小説と歴史を混同してはいけないよね!
April 24, 2011
ヌードショー 4/19 大化の改新は無かった 乙巳の変 蘇我入鹿乙巳(一糸纏わず?)の変(殺人事件)蒸し殺(645年)ろされた蘇我入鹿、殺人犯は後の天智天皇!これは、天智天皇を血で穢し貶める創作(陰謀)か?それとも、昔、人殺しは勇者の徴(兆し)だった? 裁判員なら有罪・無罪、どっち?大化の改新は無かったから振り出しで思い立ったが吉日
April 19, 2011
(九州)筑紫君は正統な倭國王であり、日本天皇こそが反逆者という説、それは虚構ゆえの明解さ、論理のトリックなのか?推理作家は妄想嘘吐き商売、学者を馬鹿呼ばわりするが、学者は状況証拠だけで結論しない
April 9, 2011
日本三国志、大昔、日本には三つの王朝が在り、北九州王朝、出雲王朝、近畿王朝の三つで、北九州王朝は伽耶系、対馬経由の最短コース、出雲王朝は新羅系、海流お任せコース、近畿王朝は百済系、内海周遊コースである。北九州王朝は卑弥呼、台与(トヨ)、倭の五王、日出ずる処の天子など対中国外交で大活躍、出雲王朝は新羅の鉄人移民=国引き、国譲り=盗り、近畿王朝は百済=百家斉海の那(タンロ)で、崇神王朝から応神王朝 etcを経て現在の天皇に至る。注)九州王朝説の古田武彦は妄系だが九州王朝説は捨て難い
April 7, 2011
縄文人は、団栗喰う猿じゃなかったし、弥生人も逃げて来た弱虫じゃない!さて、あなたはどっちの人?
April 5, 2011
朱蒙=三足カラス=八咫烏(やたがらす、やたのからす)=熊野神の使いで太陽の化身。熊野本宮大社では太陽の蘇る八咫烏神事が行われ火烏(かう)がルーツで神武東征の際、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内をした三足鴉
March 25, 2011
内閣総理大臣であらせられる御方をスッカラカンと呼ぶような調子で、藤原不比等は1番ズルッコイ求婚者として竹取物語に登場する。百済王子豊璋が中臣鎌足でその子が藤原不比等。(関裕二)
March 8, 2011
馬鹿にされたのを恥じた藤原不比等は日本書紀では卑弥呼を無視した。秦の始皇帝は王室の血を引いていなかった、とか、漢帝国の始祖は街のならず者だった、とか、史記のような記述では皇室の尊厳は保てないとし怪しい人間関係を大幅にカットした結果、もっと怪しい日本書紀が出来上がった。
February 20, 2011
漢民族は人食いであったから卑弥呼は勘違い、魏帝はプレゼントに文句を言う訳にもいかず、慶んで受け取ったが、本心は、野蛮人がもっと野蛮なのを連れて来た、と、馬鹿にしていたのではないか?
February 18, 2011
縄文人はアイヌ人で、弥生人は朝鮮人とすれば話は単純だが、そうはいかない・・238年、生口、男4人と女6人を献ず。(239年か)244年、生口、数十人を献上。248年、生口、男女30人を貢ぐ。生口(せいこう)は美形の者は性のオモチャにされ、そうでない者は珍味として食されたのであろう?
February 17, 2011
我が国の天皇は朝鮮人の子孫である。小沢一郎は韓国でそう発言し喝采を浴びた。天皇だけでなく国民もまた同じなのである。縄文人が細々と暮していた日本列島に朝鮮半島から強力な武器と高度な稲作技術を持った弥生人(朝鮮人)が押し寄せたのである。縄文人は奴隷(生口、せいこう)にされた。アメリカの黒人奴隷でさえ主人の白人と混血したように、同じ黄色人種の縄文人と弥生人もそうであった。秦の始皇帝を騙した徐福の一味も混じり込んでいるだろう。
February 16, 2011
歴史の正鵠を射る(得る)に、嘘を見破る力は不可欠で、どんな嘘も百回(冊)繰り返せば真実になる。歴史とは、端的に言えば、その事件について書かれた嘘の物語であり、嘘と断定出来る証拠が未発見のものをいい、穏やかに言えば、その事件について書かれた記録であって、事実かどうか確かめ難いが虚構と言い切れないものをいう。(死馬千)司馬遷の史記は殷墟が発掘されたことにより歴史書として評価されたが、只の王名に利害は無いというだけの事に過ぎず、文学書(虚構)としての評価は高い。虚構でなければ真実は表現できない(村西とおる)理路整然とした話位嘘は無い、と、養老孟司の壁に有って、泰然自若、懇切丁寧、理路整然のお宝HP発見!と、喜んだのも束の間、それは大間違い、で、何を信じれば良いのか、もはや、信じるか信じないか、は、あなた次第、宗教の世界。歴史は敗者に背を向け、勝者を正当化するものだ。嘘は嘘でも歴史の嘘は解明し易く、自己(勝者)正当化と死人に口無しが大きな鍵となるし、名は残したいから自分は本名であろう。
February 10, 2011
理路整然とした話位嘘は無い、と、養老孟司の壁に有って、泰然自若、懇切丁寧、理路整然のお宝HP発見! と、喜んだのも束の間、大間違いかなぁ?何を信じれば良いのか?もはや信じるか信じないか、は、あなた次第、宗教の世界、か?
February 4, 2011
黄文雄(コウ ブンユウ)は、中国人は人喰い人種で食人文化は中国の伝統であると主張し、孔子食人説を唱える反中国主義者であるが、多数の著書を有しベストセラーも有り、ただの嘘吐きとは言えない。が、どんな嘘も百回(冊)繰り返せば真実になる。歴史とは、端的に言えば、その事件について書かれた嘘の物語であり、嘘と断定出来る証拠が未発見のものをいう。日本書紀は事実より嘘の方が多く、聖徳太子は架空の人物で、実在の厩戸王を飾り立てて藤原不比等らが捏造した、という。日本書紀は対外的PR用で国内では秘密にされた、らしい。(タケシの世界の七不思議より)歴史とは、穏やかに言えば、その事件について書かれた記録であって事実かどうか確かめ難いが虚構とは言い切れないものをいう。(死馬千)司馬遷の史記は殷墟が発掘されたことにより歴史書として評価されたが文学書(虚構)としての評価は高い。どんな嘘も百回繰り返せば真実になる。一人一回でも中国13億人が嘘を吐けば直ちに真実とされてしまう。日本人は馬鹿正直だからすぐ騙される。
January 14, 2011
美女とヤボオトコ「あだみかた かつもまくるも 哀れなり 同じ御国の 人とおもへば」討幕軍の馬前に楚々と進み出て一首差し出す蓮月尼、それを受け取る西郷吉之助。これは名場面である。蓮月は聡明な美人で尼となっても言い寄る男が絶えず、浮薄な男の好奇の目から逃れるため歯を抜いた。これは美談である。多数のHPはこの名場面や美談を伝えるが、或るHPは、これらの逸話は信じがたい、と、懇切丁寧、理路整然と断ずる。ネットは多数決ではない。ネットは玉石混交、ゴミクズだらけの中からお宝を見つけ出すのが醍醐味なのだ。そして、そのお宝HPにしても、この例に於いて言えば、蓮月尼に興味の無い人にとっては、ただのゴミHPでしかないのである。
December 26, 2010
新撰組か新選組か、会津藩預りの職制は新撰組だが、手偏は物扱い、で、どちらも有り、らしい龍馬暗殺はしていない(NHK最終回)
November 30, 2010
日本では珍獣天子の社稷を祀る最高の贄、牛・羊・豚は大牢、羊・豚は小牢、であった。羊は高温多湿を嫌い日本では珍獣であった。明治に北海道で飼育され緬羊と呼ばれた。木綿の綿より高級な縮緬の緬とは面妖で御免。義経が大陸に逃れジンギスカンになったと言う人もいて、ジンギスカンは北海道名物となった。義経は中国人に喰われた??
November 3, 2010
三舎を避く晋の文公、亡命19年に楚で優遇の返礼を求められ「貴方と戦う時は三舎を退きましょう」と約し、後に実際戦い三舎(3日分)を退いた。しかし、これも疑惑の美談で、恩を忘れた侵略に怒り心頭の楚の勢いに、3日分を退却したにしても、丁度そこには味方の援軍が到着していた。(城濮の戦い)他にも怪しい話有り、丼で嫌がらせの土を貰ったから土地は貰った、とか、裸を覗かれた仕返しに領土を取った、とか、晋の文公は疑惑の覇者である。
June 23, 2010
割股奉君春秋時代、晋の文公亡命19年に介子推は腿肉を切取り飢えを救う。文公即位後、介子推は王を支えた誇りのみで十分の栄誉として山に籠り下りず、文公は山に火を放ちあぶり出そうとするが、『多くの褒美を貰うため擬装隠遁したとの汚名は負わず』として焼死、文公は介子推を讃え綿山を介山と改め、その命日は火を禁じ冷食で焼死を悼み寒食節とし、次の日、清明節は春分から15日目に当たり墓参りの習慣がある。しかし、これは美談に過ぎ、事実は、介子推は腿だけでなく全ての肉を喰われたのであろう。
June 10, 2010
浜栗(蛤)殷では蛤が戦争必携品であった。大ハマグリは雉が大水に入り変身したもので、鳥は、神意の媒介者、王と太陽を結ぶ使者であったから、大ハマグリの賑肉は神聖にして呪力を宿し敵を呪い殺す武器だった。シ(師の左の字)の古代文字は二枚貝がパカッと開いた様な形にも見え、師の左の字は本当に大ハマグリなのか? と、小山鉄郎は白川静に問い質したが「ハッキリしないんよ」と言われた。師は2500人、旅が500人で、軍が出撃する際に持っていたらしい肉、賑肉は、当初は大ハマグリであったかも知れないが、大ハマグリが神の使者の化身としても実際問題、日持ちしないし、海から遠ざかり遠征が長期間になるにつれ、次第に、呪詛より実効・実利が重んじられ、戦士兼食糧として生きて戦い、飢えて喰われる戦用奴隷が重宝された、 のであろうか?生きて戦い、飢えて喰われるも、勝ち進む限りは当然ながら敵側が喰い物で、それはつい最近の文革迄もそうであったし、喰われる殷兵が殷が賑い喪失し亡びた原因の1つで、武器を逆様にして降伏した理由でもある。早々に勝利を収め無事帰還出来たときの帰の旧字はシ(師の左の字)を含み帰賑の礼を意味した。(注1)賑は貝偏→月偏で、大ハマグリのなま肉(生きて元気な肉)のことで、熟れ肉は塩辛風味、振播(手偏→月偏)シンバン;社稷・宗廟に供え同姓の国に賜る肉で シンは生肉、バンは熟肉(注2)竹が蛇に、蛇が雉に、雉が蜃に、大ハマグリは蜃、蜃気楼を吐く蛟(みずち)で、辰は辛気臭いから辛を飾り龍と成る(注3)蜃(シン、かい、はまぐり)は蛤の貝殻を焼いて粉にした、かきばい、いしばいの意味有り(注4)シ(師の左の字)の古代文字は二枚貝がパカッと開いた様な形にも見え、貝殻を焼いて石灰(いしばい)止血に用いるなら、あらゆる軍事行動において必需であり語意として正解かも知れない
May 22, 2010
善悪正邪「善」は「羊言羊」で一字獄門磔の「獄」は「犬言犬」で一字弁護士の「弁」は「辛言辛」で一字復讐仇讐「讎」は「隹言隹」で一字これらは何れも被告と原告の双方が羊や犬や鳥(隹)を出してその言の正しさを争う裁判であり、善は羊神判で勝訴、獄は敗訴、弁は分(競)訴、讎は鳥占、であった。「羊言羊」で詳(くわ)しく詳(つまび)らかに調べたら「言羊言」となり羊が上に上がって譱、善となり勝訴し、敗訴した方は「犬言犬」で左の犬が獣になって牢獄・監獄に入る。ワニ神判はベトナム、南無阿弥陀仏、被告Aは賄賂をたんまり弾み安心していたが鰐の餌でなく人の餌にしてしまったから、実は鰐は腹ぺコだった。羊神判は、人々の罪を背負うキリストのごとく黙して死んでいくはずの羊が突如牙をむく変身劇、法の旧字が含む神羊、解薦は神判用の羊、牛に似て一角で不直なる者に触れて知らせ、法のさんずいは水、土は大=人、ムは盟誓の箱の蓋を取り払った(無効)形で、敗訴者は解薦と共に川に流棄され、勝訴者は解薦に心を印し慶んだ。羊神判の詳細は『墨子』明鬼下に王里国と中里徼の実名入りで記載され、この例では中の羊が躍り狂って足を折って倒れ敗訴となった。足を折ったのは里徼か羊か? 二人が1羊を差し出すも合計で1羊か2羊か? 頸刎ね羊が跳ぶ、翔ぶ、飛ぶ、は刎ねる前か後か?何れにせよ、妖怪変化の怪奇話ゆえ何れの正しさも証明出来ないであろう。(注1)神判は火、水、秤(体重)、御神籤、毒、灼熱鉄、熱湯、沸騰油、鰐(越南)、etc(注2)神羊は、解薦(カイタイ)、若しくは、解豸(カイチ)で、解は獣偏が付き、薦は草冠を除いた字である(注3)徼(キョウ)を中国の簡化文字で行人偏→糸偏とする誤りあり(注4)墨子は藪内清の訳が古典で、地は球で(地球)動くと唱え幾何学の師であった
April 22, 2010
殷の紂王が象牙の箸を使用した記述は史記に見えるが、紂王を貶める嘘との説が有る(酒池肉林も)船中84策呼箸為快(ハシヲヨビテ カイトナス)中国では箸に当たる字は色々有り秦の始皇帝が箸に統一したが、南船北馬と言うように長江から南の江南地方では人の移動は船で、それだけに舟中では、箸の発音チュが住と同じ、住は柱立し1処に止まる意で、転覆・沈没を想起し忌み嫌い、快速の快子と呼ぶようになった。箸はジャポニカ米と共に南方から始まり南人の天下である明代になってようやく北方にも波及し、快に竹冠をつけた快子が全土に広まったが、江南の更に南の福建では今も箸、朝鮮はチョッカラで箸の音読みチョ、チャクからだろう。快子の読みは クァイズ、クワイズゥ、クァイーツェ で、婚礼では箸を贈るのが好まれ、二つで一組を象徴し快子、即ち早く子供を生み子宝に恵まれるよう嫁ぐときに持たせる風習もあるとか。
April 4, 2010
四月馬鹿嘘をついて良い日でも年中嘘をついて良い人がいる小説家だ箸は有ったけど箸は無かった箸であって箸でないとするならば、陳舜臣は嘘吐きだ!は、言い過ぎかも知れないが、つまり、箸(現物)は有ったけど箸(文字)は無かった箸(神具)であって箸(食具)でない箸(現物発掘)は有ったけど箸(甲骨文字)は無かった箸(依代神具)であって箸(食事用具)でない
April 1, 2010
怪漢快感快刀乱麻快は刃物で分断する勢いをココロヨイとするもので、殷人の血祭大好き人間らしさが溢れている
March 30, 2010
宮城谷昌光は殷の紂王が象牙の箸を使用したと記述し、陳舜臣は春秋時代の晋の献公が肉を手づかみし、まだ箸は登場していないと記述している宮城谷と陳のどちらかが嘘をついている嘘吐きは陳だ!陳は礼記に手づかみのマナーが記載されている事を根拠としているが、早とちりだ青木正児は次のように述べる礼記では飯は手づかみ、箸は飯用ではなく具入り羹(スープ)用だった。後漢から飯は匙で、箸を飯用にするのは南方の粘り米から始まり南人の天下である明代になってようやく北方にも波及した。殷墟から匙と青銅製の箸が発掘されている。銀の箸を王が常用したのは、毒殺を恐れ銀がヒ素で急変色するのをチェックした。
March 28, 2010
善悪正邪「善」は「羊言羊」で一字獄門磔の「獄」は「犬言犬」で一字弁護士の「弁」は「辛言辛」で一字天国地獄「獄」は「獣言獣」で一字復讐仇讐「讐」は「鳥言鳥」で一字これらは何れも被告と原告の双方が羊や犬や鳥を出してその言の正しさを争う裁判であり、善は勝訴、獄は敗訴、弁は分訴、讐は鳥占鳥は、神意の媒介者で、王神・王霊と太陽を結ぶ使者で、神格化物を示し、この鳥以外をフルトリ(唯,隻,雀)で示す鶏は空を飛ばず鳥とは認められず生け贄にもされたが、鳩は鳥と認められても鳩山は認められない
March 26, 2010
善悪正邪「善」は「羊言羊」で一字獄門磔の「獄」は「犬言犬」で一字弁護士の「弁」は「辛言辛」で一字善も獄も被告と原告の双方が羊や犬を出してその言の正しさを争う裁判であり、善は勝訴、獄は敗訴「羊言羊」で詳(くわ)しく詳(つまび)らかに調べたら「言羊言」となり羊が上に上がって善となり勝訴し、敗訴した方は「犬言犬」で左の犬が獣になって牢獄・監獄に入る
March 24, 2010
泥んこになった智弁和歌山はムツゴロウ智弁和歌山の弁という字は「辛言辛」で一字これは獄門磔の獄という字である「獣言獣」で一字これは善悪正邪の善の旧字と同じ「羊言羊」で一字つまり右と左に被告と原告が立つ裁判であり中に立つ言の正しさを争ったもの弁は弁護士、獄は牢獄・監獄、善は羊裁判、獄は犬裁判であった
March 23, 2010
首と体が合体したい怨念を目から放射して侵入者や霊蠱(蛆虫?)を威嚇する装置若しくは王に首を供えその霊力(凶刃に殺された羌人30人)を加算(王霊を強化)する装置伐はホコで人頭を斬る儀礼で これは 王即ち神の死した場合のみ(神が死した??)殷の始祖の帝の妻が10個の太陽を産み王霊と10個の太陽を結ぶ使者が鳥(唯,惟,雅,雑,雖,雛,難,離の右の字 隼,隻,集の上の字 雀,雇の下の字 雁,擁の中右の字 )
March 9, 2010
殷墟殉葬には首無しと頸だけと頚有りが数百体有り、首無しと頸だけの数は合わず首が多いが、頸と体が合体したい怨念を目から放射して侵入者や霊蠱を威嚇する装置と考えられる目は重要な目玉で、首は目の上に毛がある字で、道は首とシンニョウからなり異族の首で、臣は目玉を90度回転した形であり、見は目に足を付けたゲゲゲの鬼太郎の目玉親爺、媚女は眼力レーザー光線で敵を殺し敗れたら斬られた卯(ボウ)は生け贄の二つ裂き、シ(師の左の字)は卯を90度回転した形で切断はされてなく軍の出征時に奉じる祭肉、社に祀った賑肉、尾頭付きが正式な様に肉もそうであろうから、師の左の字は、それであろうか卯は頸斬り・胴切りで人・家畜の両断、師の左の字は頚繋がりで人の動脈切りか小山鉄郎は師の左の字は二枚肉とするが、皮一枚で繋がっている意味であろう日本人には人の魂や真心はその腹部に宿るとする考えがあり切腹が武士道を貫く上で最も相応しい行為と考えられ 最も重要な部分である はらわたを露出させること により自身の勇気、真心、真情(いつわりの無い心)を示した
March 4, 2010
北京原人は人の脳を啜っていた(原人→旧人→新人→現人)
久し振りに街に出たら歩いている人達は皆、中国語を喋っているのか、とうとう、日本は中国に落とされたか、四面楚歌の項羽の心境も斯くや現代の西暦21世紀をずっと遡り紀元前21世紀まで合計4000年の中華帝国の歴史、BC21世紀~BC16世紀が夏王朝、BC16世紀~BC12(or11)世紀が殷(商)王朝、BC12(or11)世紀~周~春秋戦国~秦~漢~ ~ ~(注1)夏王朝は遺跡発掘の分析が進めば猿山のボスから王への進化過程が明らかになる(注2)項羽は秦~漢の人
March 2, 2010
淫乱の解釈2殷王朝は自らを商と称した訳だから商がバックスタイルの強'姦'とするのは妄想に過ぎない古代文字の「商」の中には実に仰々しくも麗々しく書かれたものが有り自国を表現する古代人の自信と誇りが見えるようでもある日本人は自国を表現する自信と誇りを失ったかメダルも少ないし・・
February 25, 2010
淫乱の解釈「殷」は 妊娠腹を杖で殴(う)って孕んでいる子の生命力を鼓舞する呪法、とする白川説に対し、 それで血の赤黒色を表すのは中絶を意味するとの淫乱の解釈がある金メダルを狙って、妊娠し生理機能を高め初期段階で中絶し臨む選手がいるそうで、薬物ドーピングと違い合法であるが、古代は残虐な時代、と切り捨てる前に現代社会の残虐性はどうなのか殷王朝は自らを商と称した「商」は前かがみの裸婦の下半身を後ろから写した冏、即ちバックスタイルで孕ませる(娠=辛=しん)文字とする角川『新字源』に対して、白川静は入れ墨の刑具「辛」と机と祝詞(のりと)の入れ物、という淫乱緞子の「殷」は「殷」をほろぼした王朝が「殷」を蔑んで呼んだもので、正式な国名は「商」である
February 23, 2010
殷の時代の犠牲、生け贄には羊、豕(ブタ)、犬、牛のほか、羌人、南人など、牧羊民族の羌人はすぐ捕まったが、南人は勇猛果敢で中々捕まえるのが難しかったらしく、また、犠牲の使い方も、水に沈めたり、焼いたり、切り裂いたり、様々であり、牛十頭と羌人(チベット系)3人の牲の記録など有り、神に捧げた後、喰ったに違い有るまいチベット人は現代中国にても犠牲者である・・羊を鋸で二つに切って神への犠牲にする字が「義」で、切断して毛並み、角のほかに内臓もすべて完全であることを証明するためで、まったく欠陥が無い正しい犠牲のことを「義」といい「ただしい」「よい」の意味となった痔を病んだ即ち欠陥人は神に捧げる犠牲にはならなかった
February 21, 2010