生を知らず、性も知らぬ
未だ生を知らず、いづくんぞ死を知らん!(論語 先進第十一の11)孔子の教えは死後の世界については思索せず、人体も魂が無ければただの肉塊と考え、羌人(チベット系)の牲は神に捧げた後、喰った。チベット人は現代中国にても犠牲者である。卯(ボウ)は生け贄の二つ裂き、シ(師の左の字)は卯を90度回転した形で切断はされてなく軍の出征時に奉じる祭肉、社に祀った賑肉(賑は貝偏→月偏)尾頭付きが正式な様に肉もそうであろうから、師の左の字は、それであろうか?卯は頸斬り・胴切りで人・家畜の両断、師の左の字は頚繋がりで人の動脈切りか?殷では蛤が戦争必携品であったが、師の左の字は本当に大ハマグリなのか? と、小山鉄郎は白川静に問い質したが「ハッキリしないんよ」と言われた。小山鉄郎は二枚肉と言うが何故二枚なのか全く説明出来ず、皮一枚で繋がっている意味で、戦士兼食糧として生きて戦い、飢えて喰われる戦用奴隷か?シ(師の左の字)の古代文字は、二枚貝がパカッと開いた様な形にも見え、又、8字にも、66を縦書きした様にも、g にも見え、共通するのは二つの輪が繋がった形、つまり手錠で、鉄は未だ発見されていないからヒモで二人の戦用奴隷を連結し、軍出征の際、就寝時の逃亡を防止したか?その後、作戦に夜襲が採り入れられるようになった時代には戦用奴隷用手錠も無くなり、古代文字にその痕跡を残した。