父の机にあったもの・・・
薩摩隼人~ぼっけもん~左。右が兄。父は、私がまだ幼い頃に会社を退職し、自営業者として独立している。私は、まだ幼かったために、父がサラリーマンだった頃の記憶がない。普通サラリーマンであれば、土・日が休日だろうが、父はそうではなかった。そのため小学生の頃、土・日はあまり昼間から父と遊ぶということがなかった。父の仕事が休日の時は、私が学校に行っているといった具合だ。小学校2年生くらいになると、子供なりに自我が目覚めはじめ、妙な自分の中の独立心や自立心といったものを持つのか、私が首から自宅の鍵をぶら下げていると、よく同級生から羨ましがられた。どんな子供でも、はじめは自分の部屋を持ちたがり、その後は自宅の鍵を持ち歩くことによって、子供なりに、少し大人になったと満足げになるのだろう。たまたま私の周りにいた同級生はサラリーマンの家庭が多く、また共働きの家庭も少なく学校から帰宅すれば、母親がいることが普通だったようだ。しかし私の家庭は、そういう訳にはいかなかった。母は毎日、父の会社に行って仕事を手伝っているからだ。学校から帰宅しても家には、誰もいないために鍵を持たざるを得ない状態だった。同級生から羨ましがられていた、首からぶら下げた自宅の鍵も、当時幼かった私にとっては少し寂しく辛いものだった。だからと言って、その環境が嫌だと思ったことは一度もない。先日、会社で父の机を見ると、机の隅の方にこの写真が飾られていた。この写真を見た時、私は何とも言えない気持ちで胸が苦しく、涙が出そうになった。何も父は仕事人間で、家庭を顧みないという人ではなく、むしろ家族を愛している人だった。それは子供の頃からも、よく分かっていた。ただ、この写真を見た時、感謝の気持ちで、何とも言えない気持ちになったのは事実である。そして、今さらになって思うことがある。首から自宅の鍵をぶら下げていた小学生だった私よりも、子供に鍵を持たせていた父のほうが実は辛かったのかもしれない。「子供は生まれてくる時に親を選べない。どんな家庭に生まれるかなんて分からない。自営業者やサラリーマン、公務員、芸能人、スポーツ選手、政治家など。ただ俺の子供に生まれてきてくれたからには絶対に幸せにする」数年前に父が酔っ払った時に、そう言っていた言葉を思い出した。