「感動」を超えた本当の「感動」
今日ほど「感動」という言葉が似合う日はなかった。それは今日だけを見れば、鹿児島工は早実に完敗。「感動」という言葉には程遠いはず。しかし今日に至るまでのドラマが鹿児島工の球児や監督、球児達の親御さん、支える様々な人にもそのドラマがあった。何も戦っているのは、球児だけではない。彼らのお父さん、お母さん、ご兄弟の方、どれ程、胸が苦しい思いで今日を迎えたのだろう。鹿児島代表。鹿児島実業でもなければ、鹿児島樟南でもない。すべての敵が鹿児島工を過小評価しただろう。それが、結果がすべての世界にも関わらず、見ているファンすべての人が完敗したはずの鹿児島工の球児に試合後、惜しみない拍手を送った。今日、鹿児島工は完敗はした。しかしそれにより、スポーツの世界での使い古された、見ている側の人達の「感動」という言葉の、本当の意味を考えさせられた気がした。むしろ周りが軽々しく言う、その「感動」という言葉でさえ、逆に安く感じるほどの気分にさせてしまう程、彼らは全力で、勝つ事にひたむきで純粋だった。だからこそ本当の「感動」をした人達が惜しみない拍手で、甲子園を包んだのだと思う。それをよく分かった上で、私如きが鹿児島工のみんなに、言いたい・・・。「鹿児島工のみんな、感動したど!胸張って、かごんま、帰ってこい!本当、ありがとう!」