魔女狩り--本当の悪魔はいったい誰だったの?
14 Feb 2005(Mon)ハワイ市場さんのとこで魔女の話が出てたのが目に入って、たまたま僕は「ユダヤの迫害史」と「魔女狩り」の歴史を調べていたので。。途中経過だけど、ご参考までに。岩波新書の「魔女狩り」by 森島恒雄氏によると、聖書では魔女のことはほとんど問題にすらなっていないこと。旧約聖書の出エジプト記22-18にモーゼの言葉のなかに出てくる程度。新約聖書では皆無に近い。石器時代の洞窟にも魔女が描かれたりしているけど。。やはり中世のピークに向けてのきっかけは1318年の2月27日付けの法王ヨハネスの魔女狩り解禁令と強化令。これでフランスの聖職者がいつでも、どこでも好きなように異端裁判と言う名の魔女狩りができるようになった。魔女狩りのひどい期間は15世紀,16世紀,そして17世紀。中世の暗黒期で魔女狩りのピークがあったのではなく、ルネッサンスの最盛期に魔女と称して火あぶりの刑にしまくったということ。しかも扇動したのが無知な下層階級ではなく、歴代の法王、国王、貴族、学者、裁判官や文化人であったこと。教会とか国家とか公的権力が全国的なネットワークを使ってやりまくったこと。宗教改革のルターも魔女狩りの指導者。とんでもない野郎だった。ルターの「教理問答」では「キリスト」という言葉が63回に対して「魔女」は67回も出てきたとか。 魔女達は何をしても拷問に次ぐ拷問。告白すれば楽になるよと拷問。「私は魔女だぁ」と叫ぶまで拷問は続く。叫ぶとやっぱし「魔女だと」絞殺後処刑。発言を訂正するものなら、偽証罪だといいそのまま火あぶりの刑。どの魔女にとっても死は幸福への門。誰もがすみやかにその門をくぐりたかった。裁判での質問は魔女の空中飛行、魔法の杖、杖に塗る特殊軟膏、魔女集会で誰と会ったか、何を食べたか。そして魔女マーク。これがまたいい加減。魔女を裸にして突っつきまくる。どこでも。血が出てこないとこを探したり、しまいにドツイたりしてあざが変な形をして浮き上がった段階で魔女と決定。この針を使った魔女発見技術師がイギリス全土で活躍、成長産業になった。誰でも魔女にしまくって財産没収が狙い。まだ火あぶりで半分しか燃えてないのにその遺体を取り合いになったとか。その財産狙いで。最後の魔女裁判はアメリカが1692年のセーレム事件、イングランドが1717年。スコットランドが1722年、フランスが1745年、ドイツが1775年,スペインが1781年、スイスが1782年、イタリアが1791年、ポーランドが1793年。魔女処刑総数は30万人から900万人までばらばら、裁判の記録も調書も判決も告白もほとんどでたらめ。どの統計が正しいのかわからない。天文学者のケプラーの母も魔女として牢獄に数年入れられた。 ハワイ市場さんの言うとおり、まったく聖職者、国王、知識人。貴族。。ルターもカルビンも。。奴らが本当の悪魔達だった。“魔女”達、ほんまにかわいそうやった。裁判証言を読むと涙がとまらないよ。教会建築がすばらしいなんて。。真実を知ると何も言えなくなるね。血塗られた歴史。。教会こそが殺害の現場で大量殺戮の司令本部だったり、でたらめな裁きの中心だったりしたことを思うと。。「バカヤロー」って言いたくなるね。何の罪もない人たちが何十万、何百万人と拷問によるでたらめな証言と告白で殺されてきたなんて。「異端」という名のもとに殺しまくった。キリストの名を勝手に語り、悪魔の司祭者、聖職者達が迷える子羊達を拷問にかけて喜んでいただなんて。。歴史の先生はちゃんと教えろよって言いたいね。五郎。