競技と決闘の違和感
競技としての勝敗と、決闘としての勝敗の違いについて考えさせられる時がある。
先日の「DREAM.2」において、青木真也は見事試合でカルバンに判定で勝ってみせた。
しかし、青木選手はこの試合により、脳震盪による一時的記憶障害(現在は改善しつつある)と、肋骨の骨折で、未だ満身創痍な状態が続いている。
この報を受けて、この決着に対して感じていた違和感は増幅する。
それを突き詰めて行くと、「DREAM.1」の決着から起因しているようだ。
例えば、「DREAM.1」「DREAM.2」における青木VSカルバン戦を、野原での決闘だとする。
すると、「DREAM.1」で青木は首へのダメージで片腕が上がらなくなったのだから、当然このまま続行していたら、ボコボコに殴られて負けていただろう。
そして、「DREAM.2」においては、カルバンは試合後に同じチームのカーンのセコンドとしてノリノリで再び入場して来たが青木は試合後一週間以上経っても未だ満身創痍。
カルバンの試合後の経過は分からないが、試合後の様子を見るには元気であったし、二週間後の試合も出れたであろう。
ではどちらが本当の勝者だったのだろうか?
もちろん競技である以上、ルールに基づいて闘い勝敗を決めるのは当然だ。
しかし試合はどちらが強いのかを決着を付ける場であるならば、たとえ2Rを優位な印象で終えたとしても、決着が付いていない以上は、最終的にダメージを与えた側が本来の勝者であって欲しい。
だから僕の中では、試合後もなおカルバンの方が強いというイメージは変わっていないし、青木選手はまだカルバンには勝っていないと思う。