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勝敗の行方 ネリー・ブライのオセアニック号は、1890年1月21日にサンフランシスコ湾に入りました。しかし、予想もしなかった事態が発生していました。セントラル・パシフィック鉄道が猛吹雪で不通となっていたのです。このままではエリザベス・ビズランドに負けてしまうと考えたワールド社は、定期便だけを使うという方針を転換し、雪のない南部を経由する臨時列車を走らせてネリーの最後の旅を続けさせました。 エリザベス・ビズランドは、1890年1月18日にロンドンに着きました。しかし、サウサンプトンから乗る予定だったエムス号は運休していました。そこで、アイルランドのクィーンズタウンまで足を伸ばして、エトルリア号に乗ることにしました。しかし、再び不運が襲います。2年前に大西洋横断の新記録を出していた快速船エトルリア号は運休していて、船足の遅いボスニア号に乗らざるを得なくなったのです。 ネリーの臨時列車は、南部諸州を通りニューヨークに向かいました。勝利は確実となり、彼女は停車駅ごとに大歓迎を受けました。1890年1月25日、旅の出発点のジャージー駅に降り立ったとき、数千人の熱狂的な観衆が押しかけました。ネリー・ブライの世界一周は、72日と6時間11分14秒で達成されました。 ジェール・ヴェルヌは小説「80日間世界一周(1872年発行)」の中で、主人公フィリアス・フォッグに80日間で世界一周をさせましたが、ネリー・ブライは実際に72日間で世界一周を達成したのです。 ネリーは一躍時の人となりました。全米各地を講演で飛び回り、ネリーの名を冠したいろんな商品が店頭に並びました。ネリーの世界一周をテーマにしたボードゲーム(すごろく)までもが大流行しました。 「ネリー、ヴェルヌ、エリザベス」~「ヴェルヌの『80日間世界一周』に挑む」の表紙より 一方、エリザベスの乗ったボスニア号は1890年1月30日、ようやくニューヨーク港に着きました。ネリーが大統領の遊説並みの大歓迎を受けたのとは違ってさびしい帰国となりました。しかし、エリザベスの記録は76日と19時間48分と記録されています。 エリザベス・ビズランドもまた、80日以内で世界一周を達成したのです。 2人が世界一周した19世紀末は、スエズ運河が開通し、ヨーロッパとアメリカでは大陸横断鉄道が完成して世界が狭くなっていった時期です。イギリスの植民地支配は進行し、アメリカは南北戦争を経て農業国から工業国へと発展していました。このような時代背景が、2人の旅にも色濃く反映されています。 ネリー・ブライとエリザベス・ビズランドは、世界一周の途上において、東の香港から西のイギリスまで大英帝国を横断した。その間イギリスの船に乗り、イギリスの給炭地に寄り、イギリスのホテルで眠り、イギリスの電報局から電報を送り、馬車に乗って丘に建つイギリスの邸宅を通り過ぎながら、現地の人間たちの粗末な家々を見下ろした。 参考:「ヴェルヌの『80日間世界一周』に挑む」(マシュー・グッドマン:金原瑞人、井上里訳~柏書房 2013年) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014/02/14 11:56:07 PM
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