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テーマ:読書(8582)
カテゴリ:最近読んだ本
与那国島へ 沢木耕太郎ノンフィクションⅣ「オン・ザ・ボーダー」を図書館から借りてきて読んだ。沢木耕太郎は、アジアからロンドンまで乗り合いバスで旅をしたときのことを、後に(1986年)に単行本3冊にまとめた「深夜特急」が代表作とされている。 のちにノンフィクションライターとして数々の名作を書くようになった沢木の原点は、一人旅の見聞をもとにした紀行文である。最近は日本でも欧米からのバックパッカーをよく見るようになったが、彼こそはバックパッカーの元祖の一人である。「深夜特急」に刺激されて海外に飛び出した若者も多い。 前書きが長くなりそうなので本題に入る。沢木は大学を出て当時の富士銀行に就職が決まったが、出社一日目の出勤の途中で社に向かうのをやめ退社した。そして東京放送の調査部が出していた調査情報という冊子の編集部の仕事をする。 そこで、一つの情報を上司から示される。東京放送のニュースで流されたことを5枚の紙片に分けて書いてある紙片だった。(下に要約して示す) その内容に興味を持った副編集長から調査を命じられ、その翌日に沢木は与那国島に渡っている。年代は明記していないが、大学卒業後すぐで、沖縄復帰後のことだから(1972~73年頃?)の話だろう。「50枚」と言われて日本最西端の国境の島に行ったのだが、彼はそこに10日間滞在し、まとめた記録は200枚に達した。 「沢木耕太郎ノンフィクションⅣ「オン・ザ・ボーダー」」 その記録が、沢木耕太郎ノンフィクションⅣ「オン・ザ・ボーダー」の冒頭に「視えない共和国」と題して掲載されていたのだ。自分自身も数年前に与那国をわずか一泊2日だったが一人旅したので、とても興味深く読んだ。 若き沢木耕太郎は、自転車でも3,4時間で一周できるこの小さな島で、多くの人と出会い、話を聞いている。そして、この国境の島で過去に起こったこと、今起こっていること、これから先どうなるのかについて、住民の人々の生の声をもとに丁寧にまとめている。その後の沢木の紀行文やノンフィクションの原点がここにあったのだ。 「島の地図」 島に高校がないために若者が出ていき過疎化するばかりだという。役場の職員、学校の先生、商店や食堂、旅館の人々、古老の人たちなど多くの人から話を聞いている。一つ一つのエピソードが、実名入りで紹介されている。その話の記録を通して、台湾までの距離が111㎞しかない最西端の島の風土が活写されている。 沢木の旅(おそらく1972~73年)以降で与那国島で起こった主なできごとは、次のようなことである。 沢木耕太郎は文の中で与那国島の人口は2600人と書いている。その後急速に過疎化が進んだ。その最大の理由は島に高校がないためである。与那国島の現在の人口は1,680人(2018年7月31日時点)まで回復している。この人口増には自衛隊の沿岸警備隊の隊員と家族(約250人)が貢献している。
沢木の作品は書店で見かけたものはほとんど読んだ。しかし、今回の全集の中には未読の物がまだたくさんあるようだ。図書館に行く楽しみが見つかった。 (追記)
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