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カテゴリ:最近読んだ本
在留外国人は300万人時代へ? 日本政府観光局によると2018年の年間訪日外国人数は3,119万1,900人だった。これは前年比8.7%増となる。数年前、政府は外国人観光客の目標を1,000万人とし、2013年に初めて1,000万人を超えたが、5年でその3倍の3000万人を達成した。 「外国人観光客数の推移」 では、在留外国人はどれくらいなのか。法務省によると、2018年6月末の在留外国人数は263万2,251人で、前年末比7万5,403人(2,9%)の増で過去最高となったという。この割合で増加すると数年後には間違いなく300万人を超えるだろう。 「在留資格別在留者数」 ベトナムからの観光客や在留者が急増しているが、下記の本を読んだことを思い出した。舞台は、ベトナム戦争が終わろうとしていた1970年代中頃のことだ。 「サイゴンから来た妻と娘」(近藤紘一:文芸春秋社) 産経新聞社記者の近藤紘一は1771年から74年まで当時の南ベトナムの首都サイゴンに勤務した。そして1972年にベトナム人ナウと結婚し、彼女の娘ミーユンも引き取った。その後、ベトナム戦争はべトコン(南ベトナム解放民族戦線)が優勢となりアメリカ軍の撤退が始まる。この時多くの難民がベトナムを脱出している。 近藤は1975年に臨時特派員として再びサイゴンに派遣され、妻と娘を日本に出国させた。同年4月30日サイゴンは陥落したが、この時のことを「サイゴンのいちばん長い日」(サンケイ新聞社発行~のち文春文庫)として書き遺している。 近藤紘一が妻をベトナムから迎えたころ、国際結婚自体が珍しい時代だった。文化や習慣の違いから起こる家庭内のさまざまな珍事は笑えない現実だったろう。第一にベトナムの、いや一般に南の国の女性は男より生活力が強い。だから発言力も強い。いったんこう思えば強い口調で主張して譲らない。 その後、妻ナウと娘ミーユンはフランスに渡って、妻ナウは別の男と暮らしたといわれている。近藤は「パリへ行った妻と娘」文藝春秋社(のち文春文庫)も書いているが、その心中は寂しかったのではなかろうかと推察する。 1986年、優れた記者であり作家でもあった(1984年、小説「仏陀を買う」で中央公論新人賞を受賞)近藤は、45歳という若さで胃癌で亡くなる。 冒頭でも述べたように、平成が終わり年号が変わろうとしている今、都心でも地方都市でも外国人の姿が目立って増えた。国際結婚も当たり前のこととなっている。共生・共存が理想であるが、ずっと基本的には単一民族として暮らしてきた日本人にとって、外国人との生活は理想通りに事が運ばないのが現実であろう。 「サイゴンから来た妻と娘」は、今から半世紀も前、国際結婚で妻とその娘を日本に迎えた近藤の喜びと、その反面の心労が垣間見える好著だった。
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Last updated
2019/04/29 11:20:56 PM
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