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カテゴリ:人権を学び心をたがやす
みんな地球に生きる人 アグネス・チャンがユニセフの親善大使として、紛争や貧困に悩む各国への支援活動を行っていることは知っていた。でも、具体的な活動の様子については知らなかった。先日、たまたま書店で「みんな地球に生きるひとPart4」(岩波ジュニア新書 2014年7月発行)を見つけて読んだ。 「みんな地球に生きるひとPart4」 Part4を10年をおかず2014年に発行したことについて、前書きでアグネスは次のように書いている。 「…日本と世界が急激に変化しているいま、早急にみんなに伝えたいことが、たくさんあったからです。東日本大震災で目のあたりにした状況、学んだことを書き残したい。(後略)」 自分がアグネスの活動を知りたかったのは、世界の貧困や地球の環境問題に関心があったからです。それは、「いのち」や「人権」に関わる重要な問題だからです。Part3とPart4を読んで、アグネスが、国内外の厳しい環境にいる人々の力になろうと、心を込めて努めたことが伝わりました。そして、自分がよく知らなかった世界の格差についても、より多くの具体的な情報を得ることができました。 2011年3月11日、アグネス・チャンは都内でコンサートの予定があったのです。何とか会場に着いたがテレビの画面に写っている津波の光景を見て、アグネスは号泣した。「泣かないでください、声が出なくなります」とマネージャーは言ったという。まだだれも事態を十分に把握できていなかったのだ。来ていた一部の観客を返してコンサートは中止となり、都内は帰宅困難者であふれた。 アグネスは1998年に初代ユニセフ大使になっていた。一日でも早い被災地入りを希望したが、現場の混乱のためなかなか実現しなかった。それで、募金をしようということで、4月1日にジャッキー・チェンが香港で開催したチャリティコンサートに、アグネスのほか、東北出身の千昌夫、中村雅俊なども参加した。この時には、一般の人々の善意で一晩で2億円の募金が集まったといいます。 アグネスの被災地入りは4月12日に実現します。彼女はそれから何度も被災地に足を運んで、被災者の話を聞くことから始めました。そこでアグネスは、「頑張って」という一言では済まされない、胸が押しつぶされるような光景に何度も出会うのです。 私自身が最初に被災地に入ったのは2年後の夏でした。撤去されていない壊れた住居や、押し流されたままの巻き網漁船などもそのままでしたが、すでにがれきの撤去はほとんど終わっていました。被災からわずか一か月後の状況は、とてもすさまじいものだったろうということが想像できます。 次にあげるのは、本書の中に書かれている、アグネスが体験したことのほんの一部です。
※「みんな地球に生きるひと Part4 」より 「みんな地球に生きるひと Part4」では、第1章と第2章が東日本大震災について書いてあるが、世界の厳しい状況下におかれた子どもたちについても書かれている。以下章立てのみを掲げる。 9章では「アグネス論争」(1987年生後間もない長男をテレビ局に連れていたことについて、林真理子などが批判したことに端を発した論争)について触れているが、このことについては、またあとで書きたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/07/27 10:00:14 PM
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