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テーマ:旅のあれこれ(10280)
カテゴリ:旅先にて
七色の煙の街から、澄んだ空・おしゃれな街へ 昨日(14日)から1泊2日で北九州市に研修旅行。昨日は、当地の人権擁護委員協議会の活動内容を聞き、意見交換をしたり、成人の障害者の自立支援をしている施設を見学して説明してしてもらった。 ずっと昔のこと、大学受験でこの町(小倉)に泊まったことがある。時は、高度成長期の終わりごろで、洞海湾沿いには製鉄所や火力発電所が立ち並んでいた。当時の北九州市の市歌には「七色の煙」が誇らしく歌われていた聞いた。 「朝の光景」 (ホテルの窓から、秋の終わりを告げるような街路樹の紅葉) まず、この朝の風景が新鮮だった。昨夜は分からなかったが、清潔で道路にはゴミひとつない。観光地門司港レトロには何回か行ったが、ふつうは観光地と日常の生活の場は違う。小倉の街は、まるで日本の他の街とちっとも変わらないくらいきれいだった。 これは、日本では当たり前のことである。でも、中国や韓国から来た観光客がこのような光景を見たら「きれいですねえ」と感嘆するのだ。 数十年前に大学受験で小倉に泊まった時、やたらに埃っぽく煤けていて、4年間過ごすのはまっぴらだと思った。時は流れ環境対策も進んで、小倉の街は見違えるように清潔な街に変貌していた。 「朝の小倉城」 (開館前で入場しなかったが、小倉のシンボル的存在となっている) 小倉城は戦国末期に中国地方の毛利氏が築城した。江戸初期に細川氏が改築したが熊本に転封となり、その後は江戸時代を通じて小笠原氏が小倉藩を領した。小倉城は他の城と違って空襲で焼失したのではない。幕末、幕府による第二次長州征伐の混乱のなかで小倉藩自ら焼却したという。 1959年に再建されたとき、史実に基づいて当初の設計図には破風がなかった。しかし、見栄えをよくしようとの意見が観光関係者から出て現在の形になった。もともとなかった天守閣を、破風を持つ桃山風に再建した九州の某市と似たような経過である。 「閑散としている立派な建物」 (夜にはにぎわうのだろう。暴力団工藤会も弱体化し明るい街づくりが進んでいる) 北九州市は、門司、若松、戸畑、八幡、小倉の五つの市が対等合併して誕生した。1863年のことである。人口は約105万人で、1978年に福岡市に抜かれるまでは九州第一の人口を誇った。1979年の108万6000人をピークに減少に転じ、2005年には100万人を割った。現在の人口は約94万人である。(2019年10月1日推計) そのあと、揚げたての唐揚げや新鮮なお刺身、美味しいものがずらりと並ぶ旦過(たんが)市場を見学した。朝食後間もないために触手は出なかったが、当地では有名な庶民の台所であり、観光名所でもある。 朝の散策のあと、わが国初の製鉄所、官営八幡製鉄所のモニュメントである東田高炉を眺める場所にある北九州市立「いのちのたび博物館」を見学した。ここを十分には見学する時間はなかったが、自分は「太陽系の誕生から現代まで」というその壮大な展示内容には満足したのである。まさに「いのちのたび」、我々の人生は、その気の遠くなるような長い長い時間のほんの一瞬なのだ。 「いのち」について語るとき、「太陽系の誕生、生命の誕生、人類の誕生・・・という長い長い前語りがあるのだ。それを思えば、今自分たちが些末なことで悩んでいるなんかなんとちっぽけな事か。 こんなことを考えると壮大な気分になり、心も体も悩みからも痛みからも解き放たれるような思いがする。恐竜の模型や古生代の化石などを見ながらそう思った。つい文が理屈っぽくなるが、この博物館に行ったことも今回の研修旅行の大きな収穫だった。 ↓ランキングに参加しています。よかったら下のアイコンをクリックしてください。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/02/02 06:17:57 PM
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