|
テーマ:海外旅行(7523)
カテゴリ:海外の旅
海面上昇でできた世界一広い平坦地
地球一周の船旅が、最終盤になってハリケーンに航路をさえぎられまれ、最終寄港地のマンサニージョ沖合で待機となった。2日間ほど遅れてやっと入港できたが、給油施設などの修復のために港内で待機となった。 ↓この辺りの事情は下記の本ブログ記事参照 そのため横浜帰港も予定より遅れて11月1日となった。自分にはその遅れは大きな問題だった。それは、11月10日から南米ボリビアへの旅を予定していたからだ。ボリビア入国には1週間前までに黄熱病の予防接種をしておくことが必要だった。帰国翌日、福岡の検疫所で接種を受け何とかぎりぎりで間に合った。 ボリビアは南米の中央にある内陸国である。この地に妻の叔父がJACAの前身の組織から農業指導で派遣され、農地開拓に尽力した。その叔父と子ども(従妹)たちは、日本人居留地サンファンで、農業や建設業、医師として活躍している。 「叔父の家」 (緯度は南緯約20度、北半球で言えばハワイと同じくらいだ) 叔父は70代半過ぎだが元気で、我々のボリビア訪問を楽しみにしていた。そこで、我々夫婦と従妹2名の4名で、はるばる地球の裏側を訪ねたのだ。自分は長い船旅を終えてやっと「岡酔い」が治ったばかりだった。 ボリビア到着後数日間は、休養を兼ねて従弟たちの農場や養鶏場などを見学した。何もかも大規模で驚きの連続くだった。もとはこの地は密林だったが、叔父たちがブルドーザーで切り開いた。その壮大な仕事に圧倒されるばかりだった。 そして、2011年11月14日、ウユニ塩湖への旅に出発した。途中で貧しい民衆たちが政府に何かを要求して、ストライキを起こし道路を封鎖していた。これをブロッキングと言って、よくある風景だという。 「ブロッキング」 (車の列は一向に進まず、一旦スクレの町に戻って食事をした) その後、我々と同行の従妹4名を乗せた四駆車2台は、ガードレールもない山道を疾走した。迂回路を走ったのである。高度3000m以上の乾燥して埃だらけの悪路だった。最終的には深夜になって、塩湖のほとりの塩のホテルに着いた。 「高度3700m、世界一の風景」 (翌11月15日、我々は世界中の誰もが憧れる絶景の中にいた) 本当は雨期(南米では1月~2月ごろ)に訪ねた方が、降水に覆われた湖面が鏡のようになって美しいという。でも、旅にはこの時期が一番良いということで現地の従姉たちがプランニングしてくれたのだ。 この風景は10年経った今でもしっかりと目に焼き付いている。自然の雄大さをたっぷりと味わう事がでっきた至福の瞬間だった。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021/11/17 12:21:01 PM
コメント(0) | コメントを書く
[海外の旅] カテゴリの最新記事
|