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テーマ:海外旅行(7524)
カテゴリ:海外の旅
機張(くちゃん)倭城、国際市場
今日も午前9時、金先生の車に乗って最初に釜山港を遠望する展望台に行った。釜山は慶尚南道には属せず、釜山広域都市として人口330万人の大都市に発展している。ただ、地形的には山地や湾入が多くトンネルや橋で結ばれている。 「展望台にて」 (この地がどこかは、カメラのGPS機能を使えばわかるのだろうが) 10時過ぎ、機張倭城に行く。釜山広域市の東海岸部、標高65mの丘の上に築かれている。1593(文禄2)年、黒田長政が築いたが、長政の父孝高(如水)が在城した記録もある。観光客用の階段を登ってゆくと、途中にフェンスがあって進めない。 「階段は立派だが」 (フェンスの他に鉄条網もあって、厳重に囲まれている) どうやら遺跡の一部が民有地と主張している人がいて係争中のようだった。この機張城の最上部には天守台もあったようだ。最先陣をきった加藤清正軍の進撃の際の拠点にもなったおり、厳重な城構えが見どころなのである。 「掲示されていた遺跡の復元図」 (図のように強固な造りだが、中に入れないので確かめようがない) かろうじて城の石垣の一部が見えたが、フェンスから先には進めないし、回りこもうとしても鉄条網にさえぎられる。内部の平地には野菜畑などがあって、ここは俺の土地だと、かたくなに主張しているようである。 「フェンスと石垣の一部」 (掲示された看板から、金先生は裁判で係争中のようだと言った) 機張倭城は、釜山周辺の倭城の中では、築城時の様子がよく残っている遺跡である。文化財にも指定してあるのだが、文献の中にも北側の部分は私有地であると書いてある。違った地点から登れば天守台方面に登れたかもしれない。 驚いたことに、倭城の遺跡内に個人の墳墓があった。機張倭城だけでなく他の倭城後にもあった。金先生によると、行政側は持ち主に届け出るようにという立て看板を立てているが、ほとんど申し出る者はいないという。 「倭城内の墳墓」 (径5,6m程度のものが多いが、周辺の草は刈り取られている) 無縁仏ではなくて、誰かが勝手にこの地に墓を造って先祖を祀っているようである。文化財として指定される以前からのものなのだろう。 城を出て海鮮市場に行った。魚介類や野菜果物類の店が並んでいる。お客さんには観光客もいるが、釜山の人たちの台所という感じである。自分は免税店などには全く興味が無い。このような市場やスーパーマーケットを見るのが好きだ。 市場をしばらく見て歩いた後、ふぐ料理の店に行った。昼前であったが駐車場は満車で店内も満席だった。この店で奇跡の出会いがあった。この人気フグ料理店の店主は、今回の旅を計画してくれた K.Yさんの旧知の友人だったのだ。 思わぬ偶然の出逢いに思わずハグしている二人を見て、国を越えてこんなこともあるのかと自分はとても驚くと同時に嬉しかった。そして、この店のふぐ鍋は豪快でとても美味しかった。お客さんには観光客も多いようだった。 「豪快で美味しいフグ鍋」 (ぷりぷりの大きなフグがまるごと入っていてスープも絶品だった) 13時ごろお店を出て金海空港に向かう。15時ごろに空港について金先生とはここでお別れである。日本の大学に留学経験のある金先生は、言葉も心も日本人と同じような気配りで我々を案内していただいた。とてもありがたかった。 「金海空港の夕暮れ」 (仁川(いんちょん)空港に次いで重要な国際空港に成長している) 帰りは機内預け荷物に別料金がかかるというトラブルがあった。これも海外旅行ならではである。初めて旅仲間となった3人が、無事に有意義な旅ができたことに感謝していたら、すぐに福岡空港上空で、飛行機は徐々に機首を下げ始めていた。 ※このブログ記事を書くにあたっては、釜山外国語大学元教授で倭城研究家の 金ソンヨク先生のお話と、下に挙げた書籍の記事を参考にしました。 ↓ランキングに参加しています。良かったら下をクリックして下さい。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/01/04 03:33:20 PM
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