|
テーマ:海外旅行(369)
カテゴリ:海外の旅
沙也可の里、友鹿洞へ
昨年12月にも会った釜山外語大学の金元教授がホテルに迎えに来てくれた。金元教授は歴史の専門家ではないが、友人の「沙也加」に関する博士論文を手伝ったことがあるという。雨の中を1時間半ほど走り慶尚北道達城郡の友鹿洞に着いた。 この「沙也可」の村には8年前に訪問していた。 ↓ しかしこの時は、この友鹿洞の村を紹介した司馬遼太郎の「韓の国紀行」のことは忘れ、問題意識を持たずに訪問していた。それで、旅の企画をしてくれた I さんにこの友鹿洞への再訪をリクエストしていた。 今回は達城韓日友好館に女性の日本語ガイドがいた。祖母が高知県出身で、自分にも4分の1だけ日本人の血が入っていると言う。そう言われれば「はちきん」の血をひいている感じで気風が良く話しぶりも心地よかった。 「ガイドの女性から説明を聞く」 (「はちきん」とは男まさり、竜馬の乙女姉さんがその典型として描かれている) ガイドさんのお話では、秀吉軍を裏切って朝鮮側に立って戦った「沙也可(朝鮮名金忠善)」のことを語ったら、3分の一の日本人は「まさか、信じられない」と言うそうだ。日本側の文献に出てこないこともあるが、「沙也可」の子孫が書いた「慕夏堂文集」によると、加藤清正配下で鉄砲隊を率いる武将だったとされる。 「慕夏堂文集」 (友好館に展示してある、沙也可から数代後の子孫が書いた伝記) 司馬遼太郎が訪問した1971年には、この友鹿洞は純粋な農村で、金姓の人が集住していたという。しかも大半が両班(貴族)の地位を持っていた。それから55年経った現在、多くの若者は大邱などに移住して、金一族は各地に離散しているという。 「団体用応接室」 (まるで国賓並みに歓迎されているような部屋で記念撮影) 見学後、金元教授の車で大邱市の東横インまで送ってもらった。ホテルに荷物を預け大邱の薬令市に行く。朝鮮古来の薬屋が並んでいた。一つの店でお土産を買った後、薬令記念館に行った。入場無料で韓国の薬の歴史などが分かりやすく展示してあったほか民族衣装の無料貸し出しもあって、自由に着て写真撮影ができた。 「大邱の市場にて」 (何種類かの揚げ物や煮物を買ってホテルで食べた) 大邱市は韓国第4の大都市で、郊外には未来先端医療産業、未来型自動車産業、ICT基盤のスマートシティ、クリーンエネルギー関係などの成長産業が集積している。関連する大学や専門学校も多く、今後、発展の可能性が大きい。 2泊目の夜は、大邱のホテルで過ごす。やはりこの日も眠りは浅かった。 ↓ランキングに参加しています、良かったらクリックをおねがいします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/04/18 01:41:22 PM
コメント(0) | コメントを書く
[海外の旅] カテゴリの最新記事
|