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テーマ:気の向くままに 史跡散策(45)
カテゴリ:郷土の話題
名護屋城の帰りに立ち寄った唐津城
肥前名護屋城からの帰り道、まだ十分陽が高かったので唐津城に立ち寄った。1602年、外様大名の寺沢広高が築城を始め、1608(慶長13)年に完成した。廃城となった名護屋城の廃材を利用したといわれる。 現存する史料からは、唐津城に天守閣があったとする証拠はない。現在の天守閣は1966年に観光用に鉄筋コンクリートで再建されたものだ。 「昔のままの登城石段」 (左手に進めば有料(70歳以上無料)の斜行エレベーターがある) 寺沢広高は朝鮮出兵に出陣した。その後の関ケ原の戦いでは東軍(徳川家康側)に参陣している。その功労で松浦地域一帯のほかに天草地方4万石を加増された。だが、1637年の天草・島原の乱の責任を問われ、天草領は没収された。その後二代目寺沢堅高が江戸屋敷で自殺し改易となった。その後は譜代大名が5家、入れ替わりで唐津藩主となった。 「桜と唐津城」 (実戦向きではなく、装飾で見映えを良くした桃山風の天守閣) コンクリート造りの天守が建造から50年以上過ぎたので、この数年間かけて石垣の補強工事から塀や櫓の増築まで大規模な改修・増築が行われた。ここしばらく天気がぐずついたおかげで、まだ桜の花はなんとか見られた。 「唐津城天守台からの眺め東の浜と虹ノ松原] (この光景を見れば、寺沢氏がここに築城した意味が分かる) 幅500m、長さ6Kmの松原が唐津湾に沿って弓なりに広がっている。初代藩主寺沢広高が防砂林として植えさせた。寺沢氏は二代で断絶したが、日本三大松原の一つに数えられる唐津を代表する観光遺産「虹ノ松原」を遺した。 ↓ランキングに参加しています、良かったらクリックをおねがいします。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/04/30 08:08:08 PM
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