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テーマ:草の根国際交流(89)
カテゴリ:武寧王をめぐる日韓交流
韓国から多くの参加者を迎えて
「古代朝鮮の百済国第25代武寧王(ぶねいおう)は、倭国の各羅島で生まれ斯麻王と呼ばれた」という内容の記述が「日本書紀」にある。その武寧王の陵墓が、1971年に未盗掘の状態で発見された。そして、出土した墓誌石(買地券)に掘られた文字の解読によって、「日本書紀」の記述が正確だったことが証明された。 「生誕祭の神事」 (神主によって日本式によって神事が行われる) 自国の王が日本で生まれたということは、韓国では認めがたいことだったろう。しかし、現在では韓国史学会で広く認められている。斯麻王は501年に即位し、高句麗や新羅との戦いで勝利を重ね、百済中興の名君と言われる。523年に没し、武寧王(ムリョンワン)いう諱(いみな)を与えられた。 「生誕の地」 (加唐島の西岸にあるオビヤ浦という海食洞が生誕の地とされる) 現在の加唐島は人口70人ほどの半農半漁の離島だが、王が生まれた約1560年前に人が住んでいたという痕跡は発見されていない。加唐島沿岸は玄武岩の高い崖が多く、この狭い入り江は島で唯一の上陸可能な場所だったろう。 「懇親会」 (島の学校の体育館を借りて開催、日本側の歓迎のあいさつ) 30年ほど前、唐津市の人々を中心に「まつろ百済武寧王国際ネットワーク」という民間国際交流団体が設立され、同じころ、武寧王時代に百済の王都だった忠清南道公州市で同じような団体が設立され、互いに交流するようになった。 「懇親会」 (韓国側の参加者による歌と踊り) 武寧王が生まれたとされる6月初めには加唐島で武寧王生誕祭を実施する。韓国では、毎年9月末に、百済の古都があった公州市と扶余郡を中心に「百済祭」が行なわれる。両国の交流団体は、これらの行事の際に相互に訪問して交流と親善を積み上げてきた。 現在の加唐島は他の離島と同様に高齢化が進んでいる。民間団体「まつろ百済武寧王国際ネットワーク」も役員や会員の高齢化が進んでいる。これからの課題は、この民間親善交流を次の世代にバトンタッチしてゆくことである。 ↓ランキングに参加しています。良かったら下をクリックして下さい。 写真日記ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/06/04 04:57:53 PM
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