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カテゴリ:映画「元町映画館」でお昼寝
ジャン=ジャック・アノー「薔薇の名前」元町映画館 SCC、シマクマシネマクラブの第8回例会です。前回の第7回の「探偵マーロウ」も不評でした。主宰者(?)としては
「今度こそは!」という気持ちを込めての提案でした。 原作がウンベルト・エーコの評判の作品で、テレビでも放映されたこともある「傑作!且つ、名作!」、ジャン=ジャック・アノー監督の「薔薇の名前」です。昨年秋からのシリーズ企画「12か月のシネマリレー」で見ている1本だということも安心材料でした。 で、結果は? 「暗いですねえ。」 ウーン、ご存知ないようなので、ちょとだけ、解説ふうに、まず、ウンベルト・エーコという原作者についてです。 今となっては古い話なのですが、だいたい、1980年代くらいですね、所謂、記号論ブームというのがありましたが、ボクにとっても、そのころ「記号学Ⅰ・Ⅱ」(岩波現代選書)という本で出合ったのがエーコですね。まあ、なにが書かれていたのかほとんど覚えていませんが、記号をめぐる意味作用の発生におけるコードの重要性を論じた人ですね。コードというのは、まあ、個々の暗号解読のための暗号台帳のようなものですね。 当時、丸山圭三郎という言語学者の「ソシュールの思想」(岩波書店)という、まあ、結構、難しい本が話題になって、シニフィエ、シニフィアンというソシュールの用語が流行言葉になりましたが、その同じころ、記号的な表象(言語、絵画、映像なんか)がシニフィアン(意味内容)としてコノテイト(内包)する、複数の、あるいは、多層的な意味の可能性の読み取りに際して、複数のコードの重要性を説いたのがエーコの記号論だったというのがボクの大雑把な理解です。記号表現は表現主体の主観的な意図を越えた重層的な意味を内包するというところが肝ですね。まあ、40年ほど昔に読んだことなので出鱈目かもしれません(笑)。 で、映画では、エーコをどう料理するのか? 興味は、ひとまずそこなのですが、異端と正統というコードで「中世キリスト教」のわからなさを腑分けする方法を選んだところが卓見ですね。 あの図書館に並んでいる本は、全部、羊皮紙製で、ホントに焼けてしまったんかな? そういうことにドキドキする作品でしたが、「薔薇の名前」って、映画では語り手で、ワトソン役のアドソくんの初体験(?)の相手のことになるのですが、それって、小説の最後の謎は説いていませんよね(笑)。まあ、しようがないのですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.17 14:40:11
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