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カテゴリ:映画「元町映画館」でお昼寝
グレゴル・ボジッチ「栗の森のものがたり」元町映画館 予告編に惹かれて見ました。スロベニアという国の若い監督グレゴル・ボジッチという人の「栗の森のものがたり」です。
イタリア半島が地中海に突き出ていて、その東の海がアドリア海ですね。で、その海に面しているヨーロッパが、かつてはユーゴスラビアでした。で、今は北の端がスロベニア、海に面している国がクロアチア、そして、その東方にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソヴォ、モンテ・ネグロ、の国々のようですが、まあ、よくわかりません。イタリア半島の付け根に接しているスロベニアですが、北はアルプスを隔ててオーストリアに接している。まあ、そういう地域のようですが、映画の舞台はスロベニアの山のなかでした。 時代は1940年代の後半くらいでしょうか、栗拾いの女性マルタの境遇が、夫は戦争に行ったまま帰ってこない寡婦という設定でしたから、多分その頃です。 黄葉した林のシーンに雪が風に流されながら舞い落ちてきて、落ち葉が積もった平地に、墓穴と思しき長方形の穴が口を開けていています。やがて、その穴に栗のイガのようなものが埋められて、その上からたくさんの落ち葉で覆うというシーンが、何の音もないまま映し出されて映画は始まりました。 棺桶だけではなく家具も作っているようですから、指物師ということでしょうね。主人公らしき老人マリオには具合の悪い妻ドーラがいて、あてにならない医者とのやり取りもありますが、眠り込んでいる妻の寸法、棺桶のでしょうね、を測ったりするシーンが折り込まれ、やがて、妻が亡くなり、再び、あの四角い穴のシーンがあって、一人になります。家を出てしまった息子がベルギーあたりにいるようで、出されなかった手紙が声に出してが読み上げられるシーンがあります。 どういう経緯でそうなったのか思い出せないのですが、胸に迫って涙がこぼれたりしました。 で、一人になった老人マリオは何処かへ出発するのですが、その途中、収穫した栗を川に流して困っている栗拾いの女マルタと出会います。栗拾いの女も、おそらく、行く方が知れない夫を探す旅に出発しようとしていますが、旅費がありません。で、老人マリオは持ち合わせていた金を女マルタにやってしまうのです。女は出発し、残された老人は死んでしまいます。 まあ、かなり端折りましたが、そういう映画でした。で、まず、森とか落ち葉とか、雪とかのシーンが美しくて印象的です。 その次に部屋のなかのシーンです。これが暗いのですが、室内の光の作り方が独特で、多分、意図的なのですが、いかにも、その時代のヨーロッパの田舎の村を思わせて、「自然」なのです。ただ、暗さに弱い老人には、ちょっときつかったのでした(笑)。 それから、部屋の中に置いてある水差しの撮り方なんて、たしかにフェルメールで、そういう映像処理の面白さにに唸ったのですが、もっと、おおーっと思ったことがありました。 ボクが、子どもころラジオから流れていた、フランスのポップスで、あの、シルヴィ・バルタンの、多分、60年代のヒット曲「アイドルを探せ」だったかが流れてきたことでした。 まあ、よく考えてみれば、この映画の物語の、時代的にも、筋書き的にも、何の必然性もないと思うのですが、 「えー?なにぃー?」 とうろたえながら、結局、この曲のメロディが、この作品の記憶として残るに違いないところがふしぎですねえ(笑)。 好き勝手に、のびのび映画を作っている、若い才能という印象ですが、栗林の落ち葉の降り積もった中に、ポッカリ開いていた四角い穴と、風に舞うように降る雪のシーンは、 スロベニアという国に生きる人間の「今」 を象徴的に 表しているかのようで、この監督を支えている現実認識、あるいは歴史観の深さを感じさせる映像でした。 映画の中で、死んでしまった二人の老人に拍手! それから、グレゴル・ボジッチという若い監督に期待込めて拍手!でした。 監督 グレゴル・ボジッチ 脚本 グレゴル・ボジッチ マリーナ・グムジ 撮影 フェラン・パラデス 編集 グレゴル・ボジッチ ベンジャミン・ミルゲ ジュゼッペ・レオネッティ 音楽 ヘクラ・マグヌスドッティル ヤン・ビソツキー キャスト マッシモ・デ・フランコビッチ(指物師マリオ) ジュジ・メルリ(マリオの妻ドーラ) イバナ・ロスチ(栗拾いの女マルタ) トミ・ヤネジッチ(村の医者) 2019年・82分・スロベニア 原題「Zgodbe iz kostanjevih gozdov」 2023・11・24 ・no143・元町映画館no213<img ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.30 00:56:52
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