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カテゴリ:映画「元町映画館」でお昼寝
ゼロ・チョウ(周美玲)「流麻溝十五号」元町映画館 監督も、映画の下馬評も知りません。題名を見ても意味が解らなかったし、何の予測も思い浮かばなかったのですが、元町映画館のポスターを見ていて
台湾の新しい映画か? まあ、そう思って見に来ました。ゼロ・チョウ(周美玲)という女性監督の「流麻溝十五号」という作品です。 全く知らなかった台湾の現代史について、新しく教えられることのオドロキに打ちのめされて見終えました。 時代は1953年、舞台は台湾の南東にある離島、緑島という所の「新生訓導処」という女性政治犯の強制収容所でした。 1895年から1945年まで続いた大日本帝国による植民地統治を経て、国共内戦に敗れた蒋介石による台湾統治が始まるのですが、1947年の2・28事件、大陸から移入してきた、軍人・官僚、(外省人)に対する台湾人(内省人)の抵抗事件ですが、その事件以降、国民党政府によって戒厳令が布告され、所謂、「白色テロ」の時代が始まりますが、戒厳令が解除されたのが、蒋介石の息子蒋経国の死の前年の1987年だそうです。映画を見終えて帰ってきて、ネットで調べられる台湾現代史をたどり直して、もう一度、啞然としました。 で、映画にもどります。映画は、その白色テロ時代に思想犯として収容された女性たちを描いていました。 実は、見ていて、最もオドロイタことというのは、収容されている本省人たちが、外省人である看守や軍人に隠れて話す言葉が「日本語」だったことです。中国語の字幕を読みながら見ていると、突如、日本語の会話が聞こえてきます。 「え?なに?なんで?」 1953年という時代設定から考えて、台湾の成人たち(本省人)が「日本語」を話せるというのは当たり前で、日本人の統治が終わった後、だから、1945年以後ですね、大陸から来た人たち(外省人)は、その言葉がわからないという、 1950年代当時の、台湾における歴史的現実 が、映画として表現されているわけです。 収容されている人たちの中には、もちろん外省人もいるわけですが、当時、2・28事件弾圧が本旨であった外省人である蒋介石にとって、反共教育に名を借りた本省人弾圧が目的の収容所だったのでしょうから、収容されている多くの人が台湾人(本省人)であり、その結果、1945年までの弾圧言語、強制言語であった日本語が 「自由」を維持する内緒の言葉 として流通していたのです。 主人公たちが日本語で内緒話をし始めるの見ていて、最初はキョトンとしましたが、歴史的背景に気づいてギョッとしましたね。こんなふうに、 二重、三重の抑圧の歴史を生きてきた人びと が、台湾に、そして、きっと朝鮮にもたくさん存在するはずだということすら、ボクは忘れていました。そういえば、蒋経国の後、台湾民主化の立役者として登場した李登輝という人は「日本名」を持ち、青年時代、京都大学で学んだ人だったですよね。 映画は、ドラマとしての面白さ以前に、 「伝えること」に重心を置いた描写・構成が印象的な作品 でした。 おそらく、2024年の今、台湾でも多くの人がこの作品に描かれている歴史的な事実を忘れてしまっているという現実があるのでしょうね。一見、穏やかなシーンの展開で終始しますが、その時代に「女性に対する思想教育」という、男性的で権力的な発想が、まずあったことが、今の台湾社会が忘れてはならないという思いが静かに響いていました。 Untold Herstoryと副題が付いていますが、そこで何が行われたか、たとえば主人公の一人は女子高校生だったわけですが、彼女が語ることができないないまま生きていかざるを得ない社会が続いたという事実を、今、掘りおこそうとしてるゼロ・チョウ(周美玲)という 女性監督の勇気に拍手! でしたね。まさに、今、撮られなければならない映画でした。拍手! 監督 ゼロ・チョウ(周美玲) 原作 ツァオ・シンロン 脚本 ゼロ・チョウ ウー・ミンシュアン 主題歌 ツァオ・ヤーウェン キャスト 余杏惠(ユー・シンホェイ)ユー・ペイチェン 陳萍(チェン・ピン)リエン・ユーハン 嚴水霞(イェン・シュェイシア)シュー・リーウェン シュー・タオ ジャン・ユエ 2022作・112分・G・台湾 原題「流麻溝十五號 Untold Herstory」 2024・08・04・no099・no254 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.12 00:35:45
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