カテゴリ:ゆる楽しい心理学
幸せのカタチについて、ここ数日ブログを書かせて頂きました。
読んで頂いたあなた☆コメント頂いたみなさま☆ 本当にありがとうございます 改めて考えてみると… 幸せって目に見えないもので その価値基準はそれぞれで 幸せ=??? という定義づけは難しいな~というのを実感しました。 幸せの感じ方って、その人の生き方や人生論みたいのが 色濃くでるもの。 だからこそ、私なりの幸せのカタチを感じて 私の人生の中で味わい尽くしちゃいたい って思うのと同時に 逆に… ひとりひとりがそれぞれ持っている幸せのカタチを 深くふか~く掘り下げていくと みんなに共通するものや、共感できるものがあるのではないか??? そんな風に、幸せのカタチという 不規則性ものに対しても、普遍的なものを見出したくなってしまう私です。 だからこそ、幸せや人生について語りたくなっちゃうし いろんな方の、幸福論や人生論を聞きたくなっちゃうんだろうな~ しばし感慨に浸る… わたし… あっ。またまた、前置きで終わってしまいそうなんで 本題にいきます(笑) 私の幸せのイメージを言葉に表現すると… 『外的な刺激に対するココロの反応と、内側から湧き出る快な感情』 (端的に表現するとなんともあっけないですね。) ついつい、幸せって あれを手にしたら… あの夢が叶ったら… もっと、何々か何々になったら私は幸せになれるのに… とか、ついついモノや出来事にフォーカスしてしまいがちだけど そもそも、それはなんで欲しいんだろう?? と、掘り下げて考えると… それを手にした時、感じるであろうココロの高揚感だったり、満たされた思い。 ほんとは、それを手にしたいんだよね。 なのに 必死に、モノや出来事に執着して それを手にするために… ココロを置き去りにして 大切な人、時には自分さえも犠牲にして 幸せが何かを見失う。 どうやら、私たちは時々 幸せの点検確認が必要だ。 今わたしは、何にとらわれている??? それは、自分の幸せのため??? 何かに執着してない??? それって、自分基準??? 世間的な常識にとらわれていない??? て。 世の中も変化し、私自身も変化する中 私の幸せは明確でありたい。 受身ではなく、選択しながら主体的に生きる。 自分の人生を、自分で生きる覚悟が出来た時 じわーって染み出る、幸福感が味わえる。 さんまさんが言う 『生きてるだけで、丸もうけ』 世にいう。小さな幸福論。 コップ中に半分ある水。 この事実に対し あなたはどう感じる??? 『もう、半分しか水が無い…』 それとも… 『まだ、半分も水がある』 そして、そう感じた後 あなたは、どんな行動に出るか??? これによって、人生の幸福度が変わってくるのだと思う。 あ~。やっぱ幸福論をかたるつもりが、 最終的に、私の人生論になっちまった… 幸せってなんだろう??? そもそも それを考えていること自体 とても幸せなことだと思う。 モラトリアム人間大国日本で 私は強く生きていきたい。 幸せは何かについて、一日中頭を悩ます 幸せボケ気味な私に ちょっと、喝を入れたくなった、今日この頃。 最後まで、読んでいただきありがとうございます ひとは ひとしきり悩んだ後 あきれるぐらい悩んだ後は 自然に前に進めるんだと思う。 がんばれ、わたし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.09.02 22:24:59
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