|
テーマ:吐息(401)
カテゴリ:Essay
週末は雨だと諦めていたのに、今朝は思いがけずに晴れ間が覗いていた。 慌てて洗濯物を干して手早く家事を片付けたのだけれど、時計はすでに一時を大きく回っていた。 それでも先週に引き続き、根津美術館へと向かった。 『特別展 国宝 燕子花図』を、もう一度見るためだ。 今回は、前回購入した図録にしっかりと目を通して臨んだので、全く違った楽しみ方ができた。 時間をかけてゆっくりと館内を歩き、疲れると休憩を取り、そしてまた歩くと言う具合に、ひとりだから十分過ぎるくらい満喫できた。 わたしがこの、尾形光琳の『燕子花図』に興味を持ったのは、二十代前半の頃である。 当時どっぷりと浸かっていたいけばなに、琳派という技法があったからだ。 学び始めで琳派を少しも理解していないわたしは、来る日も来る日も図録をただじっと穴があくほど眺めたものである。 先輩の諸先生方は、やれMOA美術館の『紅白梅図』だ、根津美術館の『燕子花図』だとお出かけになったものであるが、地方都市に住むわたしの給料では、それほどたやすいことではなかったのだ。 だからそのうち余裕ができたら、絶対に実物と対峙しようとずっと心に決めていたのである。 子育てが一段落した時、MOA美術館の『紅白梅図』屏風は、お目にかかることができたのだけれど、根津美術館の『燕子花図』屏風は、気になりながらも機会はやってこなかった。 そんな経緯もあり今般の公開は、本当に首を長くして待っていたのである。 やはり実物は素晴らしかった。 金箔地の六曲一双の屏風に、群青の花と緑青の葉の燕子花のみが描かれており、想像もつかないくらいの迫力と色彩で、わたしを圧倒したのであった。 待ちに待ったものとの出会いは、感動が寄せては返すさざ波のように訪れるものだ。 わたしはその中に、思い切り浸った。 初めて見たいと思った時から、すでに四半世紀近い歳月が通り過ぎていた。 でも、わたしは今会えて良かったと思う。 当時の若さでは、この感動はなかっただろうと容易に想像がつくからだ。 やがて閉館時間が訪れた。 わたしは立ち去りがたい気持ちを抑えて、外に出た。 見上げた空は、すっかり雲に覆われていた。 ※画像は根津美術館内、日本庭園内にて撮影 by sion お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月16日 02時02分52秒
|
|