宮澤喜一 元首相 逝去
宮澤喜一 元首相 が6月28日老衰でなくなられた。享年87歳という。宮澤氏は昨年足の骨折をしてから、元気な活躍をマスコミ等で拝見する事がなかったが、28日もお話をしたりしていたが、気がついた時にはお亡くなりになっていたという。宮澤氏は、私立武蔵高等学校・中学校の前身である旧制武蔵高等学校(7年制高等学校)のもっとも優秀な麒麟児であり、私の先輩に当たる方であったが、宮澤氏の秀才ぶりに比べると、私等は無用の長物で学生生活を過ごしてきた。私立武蔵高等学校の生んだ唯一の総理大臣であった。そのあと、東京帝国大学の多分法学部を卒業され、大蔵省を経て、参議院議員、衆議院議員を歴任し、この間、第二次世界大戦の処理の講和条約の折、吉田茂首相の書記官を始めに、戦後の日本の様々な時期に、重要なポストをつとめ、遅ればせながら、72歳で総理大臣となった。旧制武蔵高等学校の卒業生の中で、唯一の首相であり、武蔵高等学校の歴史的ヒーローで同校を代表する卒業生であって、様々な逸話がのこされていたが、宮澤氏の死去とともに、武蔵高等学校の活躍の歴史は終わりに近づく事になるかもしれない。歴代首相を出している東京大学にしても、総理大臣を勤めた最後の卒業生であるような気がするが、気のせいであろうか。東京大学の活躍の歴史も、最後の一頁を彩った重要人物であったに違いない。宮澤氏については、頭が切れる事が、政敵を生み、外国での演説で英語を取り混ぜたりする点が、右翼よりの人々には不評であったしたが、小渕内閣でバブル後不況期の大蔵大臣を勤めたりするなど、嫌な仕事もやむを得ず勤め抜いた鉄人であった、今の政界をみると、宮澤氏のような、所謂賢人が少なくなっているように考えられる。宰相として最適任者であったかどうかは不明だが、日本に必要な賢人であったことは言うまでもないことである。